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 第六話 サマービーチサンシャイン(前編)


 「――なるほどね。からかい甲斐のありそうな坊や」
 リコリスは一人、誰もいない資料室で笑みを零した。資料閲覧用のモニターには、とある人物の経歴が細かに表示されている。先日、諜報部が調べ上げた天川宙の情報だ。
 彼の経歴はなかなか興味深い。一歳にも満たない時期に捨てられ、両親の顔すら知らず、東京の端にある小さな孤児院で育ってきた。天川マツリと絆が深かったのは、ちょうど同時期に引き取られたという理由もあるらしい。詳細に目を通すと、如何に彼が天川マツリに“依存”していたのかがよく分かる。
 親に捨てられ、同じ痛みを持つ者同士で傷を舐めあっていたのか。否、これでは言い方がすこぶる悪いだろう。彼らはお互いの心の傷を、家族という関係で補完し続けていたのだろう。純粋な姉弟愛。血の繋がった家族でさえ、ここまでの愛はないはずだ。言うなれば比翼の鳥。それが天川宙と天川マツリの形なのだろう。
 思って、リコリスは胸が苦しくなる錯覚を得た。
 ……きっと羨ましいのね。
 嫉妬しているのだろう。リコリスは自分の心情をそのように分析した。親も兄弟も、リコリスには縁のない存在だ。孤独という点において、宙とリコリスはとても似通っている。ただ、家族の絆を知っているということを除いては。
 あの青年に興味が湧くのはそういうことが原因なのだろう。自分と似ているモノであり、そして違うモノ。因果なものだ。二人の差を明確にする存在が、両方とも同じ人物だとは。
 天川マツリ。宙にとって、そしてリコリスにとっても、忘れることのできない存在。
 ……恨めしい女だわ。
 強く歯を噛み締めた。あの女のことを思い出しただけで、ひどく陰鬱な気分になる。リコリスは首を振って席から立ち上がると、ふと、隣の机に一冊の本が置かれていることに気付いた。あかがね色の装丁で、表紙には互いの尾をくわえた蛇の文様。このご時勢では珍しい紙を利用した記録媒体だ。
 誰かの忘れ物だろうか。手に取ってみると、どうやら物語であることが見て取れた。復興歴以前に書かれた古い物語で、著者の名前はミヒャエル・エンデ。
 タイトルは――。
 「はてしない物語」

                   ●

 夏。茹だるような暑さと涼を求めた衣服の開放が交差する季節、夏。
 衣服の開放。それすなわち水着。もちろん、水着と海は言うまでもなくセットである。
 真夏の太陽。白い砂浜。どこまでも続く水平線。そして水着姿で羽目を外す女性達。天川宙の視界には、夏の醍醐味であるそれら全てが揃っていた。惜しみもなく、全力で。女性“しかいない”絵に書いたような楽園がそこには存在していたのだった。
 ここ“月見島”はモンデンキントJPが所有する人工島だ。一見、常夏のハワイアンビーチを具現化したようなリゾート地ではあるが、IDOLの部品を生産する工場や装備の実験に欠かせない専用設備を兼ね備えた、最先端技術の結晶でもある。宙達が月見島にやって来たのは、IDOLの集中的なメンテナスを行うためだった。
 とはいえ、その娯楽性の高さも相まって、アイドルマスター課の面々にとっては慰安旅行的な側面も兼ねているらしく、仕事の合間どころか海で泳いでいる時間の方が多い有様だった。本当に連中は仕事をする気があるのだろうか。
 などと言いながらも、宙自身、海を眺めているのだが。いや、勘違いのないように説明しておくと、この場合は不可抗力であるからして。
 何故ならば。
 宙は首から下を砂浜に埋められて身動きがとれないからだ。
 「萩原、説明しろ。どうして俺は埋められている」
 「わ、私、男の人が苦手だから。宙さんと近くで話すと緊張するって、春香ちゃんに相談したら……」
 「なんてそそのかされた」
 「だったら埋めちゃえば相手は近づいて来ないよって言われました」
 「っざけんな! ここから出しやがれ萩原ぁ!」
 ひぃ、と涙目になりながら後退る少女が一名。小動物のような弱々しい雰囲気が全身から滲み出る気弱な娘だった。栗色のショートカット。やや垂れ下がった目尻。いつも何かに怯えて不安げな表情。普段は清楚な服装を好む彼女だったが、今は露出の少ない白のワンピース水着を身に着けている。
 ネーブラのアイドルマスターが一人、萩原雪歩だ。
 趣味はお茶とポエムという、少々古臭い人間だと宙は認識している。古臭い上、何事にも弱気で泣いてばかり。そうでなければおどおどしているかのどちらかだ。宙をして、見ていると腹が立ってくる存在だった。――まるで昔の自分を見ているようで。
 「仲間の人ともちゃんとお話できない私なんて、穴掘って埋まってますぅ!」
 そう言ってどこからともなく取り出したスコップで(どこぞに四次元ポケットを仕込んでいるに違いない)、一瞬にして穴を掘って埋まる萩原雪歩だった。恥ずかしいことがあるとどこかしこにも穴を掘って埋まるのは彼女の悪い癖である。その人間離れした掘削技術は驚嘆の一言に尽き、実はモグラの生まれ変わりではと宙は睨んでいる。
 「あのぉ」
 「なんだよ」
 「出られなくなっちゃいました……」
 小波の音が切なく感じられたある日の昼だった。砂浜から生えた生首が二つ、顔を突き合わせているのは不気味を通り越してシュールだ。
 そもそもこんな状況に陥った原因というのも、出発前の社長命令にあった。
 社長命令。つまり高木順一郎から任された仕事だ。765プロにおいてプロデューサーという役職を与えられている宙は、ドロップ迎撃の仕事をこなしつつ、その傍らであずさ達の手伝いをしながらプロデュースの勉強を重ねていた。時折、こうして仕事が回ってくることもある。今回がその例だった。
 仕事の内容は単純明快。月見島にいる間、萩原雪歩のサポートをすることである。
 難しい仕事ではない――と思っていた。ところが蓋を開けてみれば、だ。
 どうやら雪歩は、俗に言うスランプに陥っているらしい。特に、初出演だと張り切っていたドラマの役作りが暗礁に乗り上げてしまった状態らしく、普段小さく縮こまっている彼女は更に小さくなって落ち込んでいる有様だった。高木の思惑は、宙にメンタル的な回復を期待してのものだったということに、ここに来てようやく気付いたというわけである。
 ……高木の奴め、一体どういうつもりなんだ。
 高木とのぎくしゃくとした関係はいまだ続いているものの、立場上の関係は割り切っているつもりだ。故に、命令とあらば全力を尽くす。が、今回については文句の一つ出るのも仕方がないだろう。これは明らかに人選ミスに他ならないのだから。
 天川宙は人付き合いを苦手としている。人間不信と言っても過言ではないだろう。ここ数ヶ月の間、その時間の大半を共に過ごすあずさ達にさえ、いまだ距離を測りながら接している。そんな男が、気弱な少女を立ち直らせることができるものか。
 そういうわけで、天川宙はほとほと困り果てている次第である。
 不意に、仏頂面で浜辺に埋まる宙の上から声が降ってきた。
 「なんだ、こんなところにスイカが。誰か、長い棒持ってきて!」
 「目の前で埋まっている萩原には一生もののトラウマだぞ」
 と、ふらふらとやって来た菊地真に物申す。冗談だよ。頭の後ろに手を回し、口笛を吹きながらやって来た様子は、さながら風来坊のようだ。
 菊池真は、雪歩とコンビを組むネーブラのアイドルマスターである。
 彼女は他のアイドル達と違ってとても中世的な容姿で、格好が格好なら、絶世の美少年と間違えられてもおかしくないだろう。格好良く切り揃えられたショートカットとさばさばした男っぽい口調も、それに拍車をかけていた。ダメ押しとばかりにスポーツ全般なんでもござれの運動神経の持ち主なのだから、宙より男らしい。
 それでも本人は自分を乙女と評し、女の子らしい女の子に憧れているのだった。雪歩と特に仲が良いのも、同期というだけでなく、か弱い少女の見本である雪歩への感心もあるのだと宙は思っている。
 残念ながら、たまに少女趣向の格好をして事務所に来ては皆から熱はないかと弄られているようでは、憧れへの道も程遠い。なにより中性的で男勝りな風貌故か胸もなく、
 「おい、今失礼なことを考えなかったか?」
 半目で宙を睨む真。道端で目が合ったら反射的に逸らしてしまいたい目付きの悪さだ。
 「……そんな風だから女性ファンしか増えないんだよ」
 「雪歩、このスコップ借りるよ。目は瞑っておいてね」
 「悪かった! 俺が悪かった!」
 危うく首から上がなくなるところだった。まだ姉のところに行くには早い。
 どうにか真に砂浜から引っ張り上げてもらうと、雪歩は申し訳なさそうに膝を抱いた。この様子だと何も進展はなさそうだね。事情を知っている真は、残念そうな笑みを浮かべて雪歩を慰めにかかる。宙はどうしたものかと腕を組んだ。
 「菊池、おまえ同期だろ。アドバイスとかないのかよ」
 「雪歩の引っ込み思案は昔からだからなぁ。そうそう簡単にはいかないだろうね」
 「犬と男にびびってるくらいだしな」
 「犬に至ってはチワワですら地獄の番犬に見えてくるらしいよ」
 「チワワがケルベロスなら、大型犬は世界を滅ぼす魔王か何かか」
 そこかしこでリード付きの魔王が散歩している世の中では、雪歩にとって日常と地獄は紙一重だろう。
 この調子では埒が明かない。万事休すか。そう思われた時である。遠くから呼びかける声に振り向くと、そこにはなんと神々しい谷間が。……否、三浦あずさが手を振っていた。
 あずさの姿は言うまでもなく水着である。白のラインが入った紺のビキニで、椰子の葉のレリーフが描かれた透けたパレオの清楚なイメージがあずさによく似合っている。かつ大胆な露出が彼女の絶対無敵スタイルに拍車をかけており、ワンポイントにハイビスカスの髪飾りが映えていた。
 まったくもって、目に毒だ。近づいて来たあずさを見やると、どうしても視線は顔よりも下に行く。宙も男ということだった。
 「あの~、何かついてますか?」
 「ついてるついてる、たっぷりと」
 宙と真の声が綺麗にシンクロした。小首を傾げるあずさは、雪歩の調子はどうかと問うた。どうやら心配して来てくれたようだ。手の平を上に、首を振って、さっぱりだめだとポーズを取ると、あずさは残念そうに眉根を下げた。
 「何かキッカケがほしいですねぇ」
 「キッカケ、ね。なにか良い方法が――」
 宙の言葉は途中で途切れた。いや、邪魔をされた。腹に響く大音量が轟いたからだ。
 ビーチの木々を挟んだ先から、巨大な火柱が天に向かって伸びている。次の瞬間には一際大きい爆音が周囲を震わせて、火柱が更に噴出した。思わず耳を押さえる宙。
 「うわ、やってるなぁ。IDOL用に開発した新しい推進機関の燃焼実験。全開噴射なんて、ここでしか出来ないとは言ってもさ。すごい音だよな」
 真の吹いた口笛も、火柱が発する噴出音に呑み込まれていく。皆が遊び呆けているとはいえ、ここにはIDOLを整備するために来たのだと今更ながら思い出させられる。
 「……少し休憩入れるか。雪歩と真は、気分転換に泳いできたらどうだ?」
 火柱が小さくなっていくのを見届けて、宙は腰に手を当てて言った。
 「え、でも……」
 「これ以上根を詰めても収穫はない。これ、プロデューサー命令だから」
 あ、職権乱用。いいからさっさと行け、しっしっ。からかう真にあっち行けと手を振る。雪歩はわずかに躊躇いを見せたが、真が問答無用で手を引いて海へと駆けて行く。あいつら、仲良いな。呟いた宙は大きく伸びをして、今度は、取り残されて手持ち無沙汰になった自分のこれからを思案した。
 「宙さん、せっかくですから、IDOLさん達の整備でも見学に行きませんか~?」
 あずさの提案に、それも悪くないかなと了承の意を答える。ところが、歩き出そうとしたところで、妙に嬉しそうにしているあずさに気付いた。機嫌の良くなるようなことを言った覚えはないが。訝しげにあずさを見やると、彼女はくすりと上品な笑みを浮かべて、
 「だって、一緒に行こうなんて提案、断られると思っていたので。少しは私、宙さんに信用してもらえたってことですか?」
 「ば、馬鹿言うな! 俺は単に、ヴェルトールの様子が気にかかっただけだ!」
 「でも最近、色々付き合ってくれるようになりましたよね。この前も水着選び、手伝ってくれたじゃないですか」
 彼女の言う通り、あずさの水着は宙が選んだ物だ。ライブの時、色々勉強させてもらった礼に、何か役に立てそうなことはないかと気まぐれで聞いたら、何故か水着選びに付き合わされる羽目になった(提案役としてあの馬鹿リボンが一枚噛んでいたらしい)。そうして選び抜かれた一着を、あずさが身に着けているわけなのだけれど。
 ……まさかここまで似合うとは思わなんだ。
 少し腰を屈めて、上目遣いで覗き込んで来るあずさに、宙は顔を真っ赤にして後退った。その体勢だと胸が強調されて直視することができない。わざとやっているのか、と問い質したかったが、無自覚なのが透けて見えるので何も言えず。自分の着ている薄手のパーカーを手渡すことで自己完結することにした。ちょっと、これ、着てて。
 火柱が上がっていた方へしばらく歩くと、ビーチに併設された整備棟に辿り着いた。先の燃焼実験で生じた煙が漂う中、その奥から聞こえてくるのは、仕事に勤しむ整備班の声である。中に入ると、三機のIDOLが膝を着いた状態で並んでいた。
 インベル達には情報収集用のケーブルが接続されており、細かな整備作業が行われている。月見島では東京の基地でできないような精密検査が可能であるため、こうして通常の検査では分からない極小の傷からシステムのバグまで全て洗い出しているらしい。
 ほう、と感心しながら作業を眺めていると、整備服姿の律子に声をかけられた。
 「あら、天川とあずささんじゃない。こんなところで何してるの?」
 「おまえこそ、マスターのくせに整備班に混ざって何やってるんだ。それに、あっちにいるのは如月じゃないか?」
 忙しなく働く整備班の中に千早を見つけると、あちらも気付いて会釈を返すが、すぐに自分の作業に戻ってしまった。相変わらずである。
 「私は元々整備班出身なの、前にも言ったでしょ。こっちに来ている時は、こうして整備に混ぜてもらっているのよ。千早の場合はインベル専門だけど、あの子は真面目だから、自分のIDOLくらいしっかり面倒見ておきたいんでしょ」
 説明に納得した宙は、ふと違和感に気付く。ヴェルトールがどこにもいないのだ。
 「ああ、ヴェルトールなら別の場所よ」
 「どうしてだ? ……もしかして、問題でもあったのか」
 「違うわよ。ヴェルトールのブラックボックス絡み。基地じゃ解析できない部分があるからね、ここで徹底的に“丸裸”にするつもりなんでしょ」
 丸裸、ね。ぽつりと呟く心の中に密かに案じる気持ちがあることを、宙は嘆息した。戦うために必要な相棒だとしても、いくらなんでも過保護だろう。……いや、過保護? 誰一人信用できない自分が、そんな気持ちを抱くものか。苦虫を噛み潰したような表情で己の心情を分析していると、
 「律子さん、ヴェルトールさんの整備場所ってどこですか?」
 やっぱり心配になりますよね、私もです。はにかみながらあずさが言った。誤解だと反論するのを遮る形で律子が奥にある階段を指差すと、あずさはお構いなしに先に進んでしまうので、渋々と宙も後に続く。背後から、
 「なんだかんだで良いコンビじゃない」
 と、聞こえたのは無視することにした。
 階段を下りた先にあった鈍重なドアを開けると、そこに広がっていたのは地下実験場だ。巨大な円柱状の施設で、漂った蒸気のせいで靄の中に迷い込んだような錯覚を受ける。だがこの悪い視界の中でも、巨大な全容はなんとか確認することができた。
 施設の中心に確認できる人型の何か。
 「丸裸って、本当にそういう意味かよ……」
 宙はヴェルトールの巨体を見上げながら、驚きを顕わにする。
 装甲を全て外され、内部のフレームを露出した愛機の姿。上半身のみがハンガーで吊るされ、部分単位で分解された四肢と無数の神経ケーブルで繋がっているだけという有様だ。これにはあずさも目を丸くして言葉もない。彼女の手が宙のシャツの裾を小さく握ったことに、宙は気付いていなかった。
 「びっくりしましたか?」
 「ジョゼフ課長――ってその格好はなんだ!?」
 振り向くと、ピンクのブーメラン水着に普段着ているコートを羽織るという奇天烈な格好のジョゼフがにこやかに立っていた。変態が、立っていた。露出狂に見えなくもない。歳を感じさせない引き締まった肉体だけに、本能的な嫌悪感は凄まじいものである。
 「ここまで徹底的な作業は、ここでなければできませんからね」
 おかげで色々分かりましたよ。ジョゼフの言葉に、引き攣らせていた口元を引き締め、耳を傾けた。ブラックボックスの塊であるヴェルトールについて、宙にも知っておきたいことが山ほどある。気持ちは真剣なものへと切り替わった。
 解明されたのは、ヴェルトールの内部フレームには自己修復能力が付加されていること。
 そして、ヴェルトールのコアは、元々モンデンキントが所有していたというのだ。
 「ちょっと待て。こいつは元々トゥリアビータのIDOLだろうが」
 どうやら事情は複雑らしい。まったく、と。宙は両手を腰に当てて相棒を横目で窺った。おまえは謎の多い奴だな。
 「詳しく、聞かせてくれないか」

                    ●

 「――ライブラリの五番まで確認完了。えっと、次はこっちね」
 如月千早はコックピットの操縦席に背を預け、手元のパネルを操作しながら、早々と仕事を片付けていく。システムのバグチェックは地味な作業だが、千早は文句一つ口に漏らさない。相変わらず、寡黙が人の形をして歩いているような人間であった。
 真面目そのもの。それは“自分のIDOLの面倒は自分で見る”という意思からも汲み取れるだろう。千早にとっては、真夏の海もくだらない娯楽にしか映らなかった。むしろ、皆は仕事を怠けて何故遊んでいるのかと、疑問に思っているくらいだ。
 黙々と作業を続ける千早だったが、ふと影が見えた瞬間、背中に軽い衝撃が来た。
 「ち~は~や~ちゃん!」
 「は、春香! 驚かさないでちょうだい」
 へへ、と舌を出してお茶目に笑う春香。彼女は水着姿でビーチサンダルという軽装だ。その手には、水着がもう一着握られていた。
 「これ、内緒で千早ちゃんの分も持ってきたの! 一緒に泳ごうよ」
 確かに泳ぐつもりもなかったので、水着を持ってきてはいなかったが、
 「悪いけど、私は泳ぐ気ないから。自分のIDOLくらい、整備を手伝わなくては。春香も少しは手伝ったらどう?」
 「うっ……。そう言われると何も言い分がないよ」
 隅で“の”の字を書き始める春香を無視して作業に戻ろうとすると、
 「どうして千早ちゃんはそう固いのかなぁ。……宙とのデートだって、断っちゃったし」
 「あれは春香が勝手に話を進めただけでしょ!」
 思わぬ反撃で入力ミス。エラー表示を処理する千早の頬は赤く染まっている。反撃の糸口にニヤリと口元を歪める春香は、
 「結局、宙とあずささんの二人で行っちゃったけどね。最近よく宙と話してるみたいだし、気を使ったんだけどなぁ。千早ちゃんも、年頃の女の子だもんね」
 「宙とは、単に彼が音楽知識に詳しいから、意見の交換をしているだけよ!」
 あれはデートだなんて大それたものじゃない。ただ水着を買いに行こうと誘われた際に、春香が宙を連れて行こうとしていただけのことだ。男女のあれこれは一切ない。断ったのも、はなから海なんて眼中にないからである。
 もう一つ言わせてもらえば、それは千早なりの気遣いでもあった。宙とあずさの関係がアイドルマスター課で噂になっているのは知っていたし、二人の間に割って入るのも悪い気がしたのだ。お邪魔にはなりたくない。
 ……それなのに。
 千早は服の内側に隠した、首から提げる指輪に意識を向けた。シンプルなデザインで、露天に売っているような安い品だ。
 なんの気まぐれか、宙が千早に買ってきたものだった。水着選びに付き合わなかった代わりに、勉強代として購入してきたらしい。何故指輪かと問えば、千早は飾りっけがないからその手のものが良いと春香に吹き込まれたと言っていた(裏で働きかける春香の行動力は戦慄せざるを得ない)。
 せっかくあずさと二人きりにしたのに、他の女性への贈り物なんて選んでいたら本末転倒ではないか。まぁ、当のあずさは積極的に選ぶのを手伝ってくれていたようだけれど。気を利かせたこちらが馬鹿みたいだ。
 送られた指輪を大事に持ち歩く自分を思うと、過去の、“あの時”の出来事が蘇ってきて胸が苦しくなった。締め付けるような胸の痛みを忘れようと、水着片手に迫る春香の相手に徹する。
 その時、ふと、作業中のモニターが切り替わった。
 映し出されたのは春香の水着姿だ。先程まで泳いでいた時の、映像だった。
 「もう、インベルまたなの?」
 インベルに限らず、IDOLには悪い癖がある。いつの間にかマスター達を撮っては、ライブラリに保存しているのだ。起動キーの役割を果たすアイは、IDOLの目としても機能するので、それを利用しているのだろう。
 太陽が燦々と降り注ぐ海を背景に映る春香の姿は、実に健康的。少女から脱皮しつつある体は丸みを帯び、均整の取れたバランスの良いプロポーションをしている。他にも、あずさだったり、伊織だったり、雪歩だったり、ブーメランパンツのジョゼフだったり、
 「え!? ちょっと、今のおかしいよねインベル!」
 「いいから! 今のは保存しなくていいから!」
 まさかそっちの道に!? 本気で焦るマスター両名であった。二人の気持ちを知ってか知らずか。インベルは最後に、コックピット内の春香と千早を映し出す。ズームされているのは、春香が持っている水着だ。それの意味するところを千早は悟った。
 「私の水着姿が見たいの?」
 応じるように、モニターがちかちかと点灯する。困ったものだ。まさかインベルから要求があるとは。隣で春香が嬉しそうにしているのは、味方が増えたからだろう。案の定、春香はずいっと水着を押し付けてきた。
 こうなったら逃げ場はもうなかった。インベルの機嫌を損ねて、後で拗ねられても困りものだし。諦めて嘆息した千早は水着を受け取る。
 「もう、インベルのエッチ……」
 さっそく水着に着替えるべく、二人はコックピットを後にした。

                   ●

 月見島にも管制室がある。宙とあずさは、ジョゼフの案内で管制室に招かれていた。設置された複数のモニターにはIDOLの解析情報がまとめられ、表示されている。ヴェルトールの姿もいくつか確認できた。
 さて、と前置きして、ジョゼフはIDOLについて説明することから始めた。
 「月の崩壊については、説明するまでもありませんね?」
 「世界人口の四分の一を死滅させた大惨事。まぁでも、歴史上の出来事って感じだけどな」
 「それも当然でしょう。今から一〇七年も昔の出来事です。……その未曾有の危機の代償として、人間は、落下したドロップの内部から謎の構造体を発見しました」
 ジョゼフがモニターを操作すると、IDOLのコアが3Dモデルで表示される。
 「発見されたコアの原型は、地球には存在しない複雑なシリコン構造体で、無限にも思えるエネルギーを内包していました。そして我々モンデンキントは研究を重ね、ある“二人の天才”が構造体の解析に成功したのです」
 その結果生み出されたのが、IDOLの根幹を成す存在であるコア。そして人型インターフェース、現在の隕石除去人型重機――。
 「IDOLなのですよ」
 「それじゃあ、俺達の乗っているIDOLってのは……」
 「ええ、正確に言えばIDOLは人類が一から作り出したわけではないのです」
 言い換えてしまえば、人智を超えた超常的存在ということになる。肺に溜まっていた空気を大きく吐き出し、自分の思考が働いているかを確認する。
 一昔前の漫画みたいな話だ。けれど、納得できる部分も多々ある。
 IDOLの持つ“意思”や慣性制御というオーバーテクノロジー。それはつまり、人類の及ばない超越的な“何か”の力を借りていると説明するなら、全てが解決する。オカルティックな話だが、そもそもIDOLの存在自体、考えてみれば不思議なことの方が多い。
 「とはいえ、現在の科学技術を持ってしても、コアの有するエネルギーを全て抽出することはできていません。IDOLにも活動限界が存在しますが、開発当初の計画では、コアは永久機関として無限のエネルギーを供給するという話だったようです」
 それでもコアは莫大なエネルギーを内包しているのには変わりない。IDOLが重機というカテゴリにあるにも関わらず、既存の兵器を悉く凌駕する性能を持っているのも頷ける。
 「……待てよ。じゃあトゥリアビータは、そんなものを量産してるのか」
 エピメテウス。量産型IDOLとされるあの青いIDOLのことが頭を過ぎった。
 いや、とジョゼフは首を振った。エピメテウスはあくまでコピーに過ぎず、慣性制御の能力しか持たない、兵器として追求されたIDOLらしい。その能力はオリジナルと比べて幾分も落ちており、インベル達には遠く及ばない。
 「コアの解析で得られた情報によれば、オリジナルは全部で五つしか存在しません。インベル、ネーブラ、ヌービアム、テンペスタース、そして“ヒエムス”の五つ。最後の一つはいまだ捜索中ですが」
 「五体……? じゃあヴェルトールは人工IDOLなのか?」
 だとすれば、何故インベル達と同等の力を有しているのか。なにより、何故ヴェルトールに意思があるのか、説明がつかない。宙は腕を組んで考察する。そういえば、ヴェルトールは元々モンデンキントのIDOLだと意味深なことをジョゼフは言っていたな。
 「まだなんとも……。確かなことは、ヴェルトールがインベル達と極めて同質のコアであること。自己修復能力という、新たなオーバーテクノロジーを有していること。そして、その存在はモンデンキントの古い資料に記載されていたということです」
 ジョゼフは再びモニターの映像を切り替えた。どうやら今度は写真のようだ。背景を見る限り、ここの整備施設とよく似ている。そして写真の中心に写っているのは、おそらく建造中のIDOLであろう。見たことのない機体だ。
 下端にある日付は四十年近く前のものとなっている。
 「古いデータライブラリの破損したものを、最近サルベージしたものです。写っているのはIDOLの雛形、いわゆるプロトタイプですな。付随する資料にはこのIDOLの名前が記載されておりました。――ヴェルトールと、呼称されていたようです」
 「……これが本当に俺達の知っているヴェルトールだとして。問題は、ヴェルトールがトゥリアビータに渡った理由だ」
 「ここからは憶測になりますが、おそらく、“夜明けの紫月事件”のせいでしょう」
 この機会に説明しておきましょう。ジョゼフが話を仕切り直す。ちらりと横目であずさを伺うと、真剣に聞き入っている横顔を確認した。宙も再び話に聞き入る。
 「かつてモンデンキントJPで起こった内部分裂事件。それが、夜明けの柴月(ドーン・オブ・パープルムーン)です。モンデンキント本部管轄下のIDOL研究機関が、IDOLを独占し、それを自分達の目的達成のために使おうとしたのです」
 組織から離反するために行われたテロ行為のせいで多くの人間が犠牲になった。IDOLを奪われる最悪の事態は避けられたものの、研究に関わる資料はそのほとんどが葬り去られ、IDOLの研究成果は謀反を起こした研究機関が独占することとなった。その研究機関との戦いは、今もなお激化の一歩を辿っている。
 「まさか、その研究機関っていうのは――」
 「そう、トゥリアビータです。元々彼らは、モンデンキントの研究機関だったのです」
 ジョゼフの憶測では、事件の混乱の折にヴェルトールは奪われたのではないかという。事件当時の情報がほとんど失われ、研究員の大半がトゥリアビータとして組織から離反していることを考えれば、秘密裏に研究されていたプロトタイプの存在は、自然と闇に消える可能性が高い。有り得る話だ。
 存在が抹消されたプロトタイプIDOLヴェルトール。
 誰からも忘れられて。誰も自分のことを覚えていない。
 それは一体どんな気持ちなのだろうか、と。
 宙は一抹の寂しさを胸に抱いて、拳を握り締めた。
 「奴らはヴェルトールを奪って、俺達と敵対してまて成し遂げようとしている目的ってのは、一体何なんだ」
 「おそらくはミシュリンクの完成、でしょうな。彼らは以前から、それについて研究を重ねていましたからね」
 「ミシュリンク?」
 疑問はあずさのものだ。宙もその言葉に聞き覚えはない。
 「来るべき未来に備えて人類全てを平等に救うもの。それがミシュリンクだそうです。彼らの存在意義は、現状では世界平和のためとは思えませんがね」
 詳しいことは分かりませんが、とジョゼフは首を振った。
 “どんなに悪い事柄とされても、それが始められたそもそもの動機は善意によるものである”。古い人物の言葉だそうだ。孤児院の園長の受け売りだが。
 宙は大きく吐息して、知らされた事実に想いを馳せる。IDOLを中心とした大きな奔流が、茫漠とした時間の流れと共に世界を廻っている。何十年という昔から続く対立のうねりに、マツリは巻き込まれて命を落とした。そして宙も、あずさ達も、その流れに飲み込まれた。
 再び、己が決意を振り返る。自分が何のためにここにいるのか、何を成さなければならないのか。今一度思い返し、宙は言った。
 「“汝の欲することを成せ”」
 朗々と言葉を放った宙に、隣のあずさはきょとんと目を丸くする。
 “はてしない物語”の一節だ。孤児院の院長が、子供の頃に読み聞かせてくれた物語。その中で、グラオーグラマーンと呼ばれる獅子はこう語る。“それは、あなたさまが真に欲することをすべきだということです。あなたさまの真の意思を持てということです。これ以上にむずかしいことはありません”、と。
 折れない意思を持つ。難しいことかもしれない。それでも復讐を果たすためなら、それまでは絶対に、天川宙は何事にも屈するつもりはない。
 「俺は、姉さんの仇を取るためにここにいる。トゥリアビータにどんな理由があろうと、確執があろうと、関係ない。俺は自分のやろうと思うことを成す」
 復讐の炎を改めて心に宿した宙は、自分に言い聞かせて誓った。
 ――隣で、悲しそうに瞳を揺らしたあずさに、気付かないまま。



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