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 第三話 憂いの沼


 とある屋敷の一室。暗く沈んだ部屋だ、明かりは備えられた暖炉の火のみである。窓から伺える外の風景は雨風が吹き荒れる海。時折雷の閃光が奔り、部屋を一瞬明確に照らす。照らし出されたのは二つの人影だ。
 一つは、車椅子に腰掛けた老女のもの。白い修道服のような身なりで、彼女の瞳には光がない。虚空をじっと見つめるその姿は出来の良い人形のよう。
 もう一つは、老女の隣に控えた男のものだ。老女の白い修道服に対して、こちらは黒いコート、黒い手袋、黒いブーツと全身黒尽くめ。身体をすっぽりと覆い隠す黒一色の服装は、それこそ、男自身が影であるようにも思わせる。整った顔立ちとは裏腹に、鋭く冷淡な瞳は深淵の幽暗を連想させる闇を携えていた。
 二人はただ黙って待っている。先程“リファ”が任務から帰還したとの連絡を受けた。その本人が来るのを待っているのである。どうやら、色々と面倒があったようだが。
 しばらくすると、ドアをノックもせずに一人の少女が入ってきた。
 まだ女性特有の身体のラインも目立たないほど中性的で幼い少女。自分の身長と同じくらいもある長いブロンドの髪を結い上げて、ソフトクリームのようにとぐろを巻く、高飛車な中世の貴族を髣髴とさせる独特な髪型をしている。
 彼女がリファである。リファは歳相応の無邪気な笑顔を浮かべて、黒尽くめの男――“カラス”の横を通り過ぎて、車椅子の老女の方に駆け寄った。
 「“ママ”、ただいま!」
 だが老女は虚ろな瞳のまま何も答えない。代わりに答えたのはカラスだ。
 「おかえりなさい、リファ。任務ご苦労様です。……内容は芳しくなかったようですが」
 ある程度、掻い摘んだ話はすでに聞いている。とはいえ掻い摘んだ内容だけでも卒倒ものだったのだから、内心でカラスは舌打ちした。
 つまり、ヴェルトールがモンデンキントに奪われたという件。
 「文句があるのはリファの方だもん! ヴェルトールが勝手に動くなんて聞いてないし」
 「そのことについて詳しく聞きたいのですよ」
 今回リファに与えた任務は、ヴェルトールの遠隔操作システムのテストだった。
 “組織”の重要な戦力でありながら、誰の操縦も受け付けずにいた孤高のIDOLであるヴェルトール。それをどうにかしようと、強引ながらも制御するためのシステムを試行錯誤の末に開発した。試験運用及び情報の収集を目的とした今回の任務は、組織の今後の方針を左右する重要な作戦であったのだが。
 「命令もなしにヴェルトールは動き出し、挙句の果てにモンデンキントに奪われてしまった、と。三十年以上前に建造された機体を技術の粋を凝らして改装したというのに、なんたることだ。由々しき事態です」
 「だからリファのせいじゃないって言ってるじゃん。ヴェルトールが悪いんだってば。元々よく分からない変なIDOLだったし」
 確かに、あれは他のIDOLとは特性があまりにも違い過ぎる節があった。それこそ、何が起こっても不思議ではない程度には。だとすれば、今回の件は遠隔操作システムの不具合というよりも、ヴェルトール自体の特異性が引き起こした可能性の方が高いやもしれない。そう、特異性といえば、
 「報告にもありましたが、ヴェルトールを操ることのできる人物を発見したそうですね?」
 「そう、それそれ、そうなの! 聞いて、ヴェルトールを動かしたのはね、なんと男だったんだよ! 信じられる? 男だよ!?」
 「男? 現存する全てIDOLのマスターは全員女性。いや、“女性しか受け付けない”はず」
 妙だな、とカラスは目を細めた。それもヴェルトールの特異性に由来するものだと考えれば納得もできるが、下手をすれば、過去考察されてきたIDOLの性質を否定する形とも成り得る。絶対的な前提。IDOLを扱う上での根幹にある条件。
 “IDOLに触れることができるのは女性だけ”。これを覆すことになるのだから。
 だが考え方によっては、これはチャンスだ。
 「マスターが発見されたということは、ヴェルトールの本格的な運用が計画できるようになります。モンデンキントとの戦力差を埋めることもできるでしょう。……そのために、リファ、あなたには失態を取り返してもらわねばなりませんね」
 「あのマスターごと、ヴェルトールを取り返して来いってことだね。いいよ、リファもあいつには仕返ししなくちゃって思ってたからね」
 「期待していますよ」
 言葉とは裏腹に、密かに冷笑を浮かべるカラス。元々リファがヴェルトールを止めていればこのような事態は起きなかったのに、という憤りもあったからだ。しかし高い能力を持っているとはいえ、リファもまだ子供。ほんの少し優しく接すれば命令に逆らうこともない。手駒としては扱いやすくて便利だ。
 損失と収穫。天秤にかければ損失の方が大きい。今後、どのように計画を修正していくかが損失を取り戻す鍵になる。現状の“組織”にさほど余裕がないことを考えれば、早急な対策が必要となってくるだろう。
 と、その時。ドアをノックする音で思考は中断された。
 「失礼するわ」
 扉を開けて入ってきたのは、白の長髪を伸ばした女性だ。
 色素の全てが抜け落ちた髪は、異常を通り越して美しいまでに目を引く。白い雲、白い雪、それらよりも更に白く、ただただ純粋に白い。無垢というよりは、あえて虚無と表現した方がイメージに近いかもしれない。緩急のはっきりとしたスタイルはモデル並みだが、顔を隠すサングラス状のバイザーが違和感と妖しさを醸し出している。
 腰に手を当て、口元に綺麗な笑みを浮かべる彼女には、強い存在感があった。どこぞの女エージェントと言っても通用しそうな風貌である。
 「悪いけど、立ち聞きさせてもらったわ。おもしろい話をしているじゃない」
 「それは盗み聞きと言うのではないですか、“リコリス”。心配しなくても、説明するつもりでしたよ。あなたは重要な戦力の要ですからね」
 「そう思っているのなら、ヴェルトールの奪還は私に任せてくれないかしら?」
 ほう、とカラスは口元を吊り上げた。役割を横取りされそうになって不満を漏らすリファを無視して、リコリスは窓際の老女に近づき、
 「ヴェルトールは、私ですら拒絶した強情なIDOLだった。それを動かしたのがどんな奴なのか、とても興味があるの。男のアイドルマスターなんて、お目にかかれたものでもないしね。カラス、なんだかんだ言って奪取の機会がないわけじゃないんでしょ?」
 「ええ、モンデンキントは、必ずヴェルトールを戦力に加えるはずです。それが得体の知れない謎の機体だったとしても、彼らにも余裕がないはずですから」
 「……昨今のドロップ増加のことを言っているのね。確かにデメリットを無視しても、IDOLが一機増える方が魅力的かもしれないわね」
 「それに“彼”の性格を考えれば、そうしたことに躊躇するとも思えませんしね」
 「彼?」
 首を傾げるリコリスに、カラスは適当に相づちして、
 「なに、過去の実体験に基づく推測ですよ。かなり確立の高い推測でもありますがね」
 そう、ならいいけれど。曖昧な言葉にも関わらず、リコリスはそれ以上追及しない。そんなことよりも、例のマスターの方が興味的なのだろう。男のアイドルマスター。本来在り得ない存在に期待を含まらせる気持ちは、分からないでもない。
 「では、あなた達には存分に働いてもらいましょうか。」
 カラスは暗く邪悪な笑みを浮かべ、言った。
 「我々“トゥリアビータ”の悲願。“ミシュリンク”完成のためにね」

                   ●

 宙が案内されたのは、765プロ本社ビルでも特に豪奢な部屋だった。扉の上にあるプレートには、社長室と書かれている。
 地下に存在するモンデンキント基地からエレベーターで上がってきたはずが、そこはなんと、765プロ本社ビルと繋がっていたのだった。まさか本社ビルの地下に噂の秘密基地があろうとは思いもしなかった。心の許容範囲はとっくに振り切れているので、いい加減驚くことにすら疲れてくる。さすがにこれは末期だろう。
 ビルの最上階付近に位置するこの部屋。ガラス張りの壁から覗く夜景は地上の星の如く。百万ドルの夜景を背後に、社長室の主たる男は堂々と座っていた。手を組み顎を乗せ、威風堂々の面構えだった。
 高木順一郎。765プロの社長であり、弱小事務所だった765プロをわずか数年で業界屈指の大手に育て上げた稀代の手腕を持つ人物。すでに還暦を過ぎているはずの顔には、しわこそ寄っているが少年染みた明るさが滲んでいる。快活で悪戯好きの子供がそのまま成長したら、彼のようになるのではないだろうか。
 四年前から何一つ変わっているようには見えなかった。時を飛び越えて来たかのように、外見も、雰囲気も、全てが過去の記憶にあるその通りの姿だ。それだけで、息を呑む。何故この人は、こうも変われずにいられるのだろうか。
 初めて出会ったあの時と。
 天川マツリをアイドルとしてスカウトした、あの時と。
 渦巻いた感情を隠すために宙は、フンッ、とおどけて見せた。
 「ふむ、なかなか肝が据わっている。四年前は内気な少年だったというのに」
 顔を合わせて第一に、高木は宙をそう表した。如何にも満足そうな表情で。
 「あんたは何にも変わらないな。相変わらず黒い服ばかり着やがって」
 高木の外見は、昔と変わらず、黒で纏めたコーディネートのままだ。舞台裏で働く黒子を現代風にアレンジしたら、まさしく高木と同じ姿になるだろう。二人のやり取りを、小鳥が懐かしむように見ていたので、宙はむっとして思考を切り替えた。
 小鳥が会わせたかった人物が高木なら、つまり彼もモンデンキントの関係者だということで、間違いないだろう。加えて重役であることも様子から伺える。高木と小鳥の知られざる素顔を見せ付けられている今――ひどく情感を掻き毟られる思いがある。
 ……嘘だらけじゃないか。昔も、今も。
 四年前、彼らは宙を裏切った。少なくとも、宙はそう確信している。
 「疲れているところをすまない。どうしても、君に話したいことがあってね」
 「なんで今更なんだよ。あんた達なんか、姉さんを殺したあんた達なんか……!」
 宙の強い視線が高木を見据え、射抜く。黒々とした憎しみの色は強い。
 あの時。
 マツリが死んだ時、それは事故だったと報道された。撮影中の事故で、遺体も見つからないような悲惨な状況だったらしい。当時は、マツリの身に不幸が降りかかったことの方が強過ぎて、詳しい状況を飲み込むことができなかったのを覚えている。目の前が真っ白になって、音すら遠ざかっていく。あの感覚を忘れることはできない。
 結局遺体が帰ってくることはなく、葬式は遺体のない状態で執り行われた。多くのファンが詰め掛ける中、マツリの知名度とは裏腹に孤児院で慎ましく執り行われた葬式は、多くの人が涙し、彼女の冥福を祈った。
 当然小鳥と高木もその場にいた。孤児院は子供がほとんどだから、それでは大変だろうと色々と手伝ってくれていたのだ。小鳥は泣きながら。高木は神妙な顔付きで。ただ皆、宙に対しては気遣いを見せていた。姉を失って魂が抜けてしまったかのような宙を、放っては置けなかったのだろう。
 けれど、励ましの言葉はまったく耳に入らなかった。届くはずもなかった。心の拠りどころ失った宙に、言葉など、受け入れる余裕などなかったのだから。
 ただ一言、あの言葉を除いて。
 ごめんなさい、ごめんなさい。小鳥は異常なまでに泣いて宙に詫びる。私がしっかりしていれば、と。そして、
 「私がしっかりしていれば、マツリが襲われることなんてなかったのに……!」
 感情的になるあまり、口が滑ってしまったのは言うまでもなかった。だが小鳥が口を押さえた時にはもう遅い。ただ一言、言葉の違和を敏感に拾い上げた宙は、深く思考した。襲われた。この言葉の意味はなんだ。
 事故だったんだろう?
 襲われるって、何に?
 何を、隠しているんだ?
 ……こいつらは嘘を吐いている
 生まれた猜疑心は、ぽっかりと空いた心の穴を埋めるように広がっていった。猜疑心はやがて憎しみや怒りに変わり、その矛先を向ける相手は、当然のように高木達であった。彼らは何かを隠しているんだ。事実無根ではあったが、拠りどころを失った宙を突き動かすには、十分過ぎる起爆剤には間違いなかった。
 宙は高木達を悪だと思い込むことで、壊れそうな自分を保ったのである。
 事件の詳細に違和感があったのも事実で、警察も早過ぎる段階で捜査から手を引いた。メディアもそうだ、事件の話題性にしてはあまりにも早いネタの風化。流れの早い世の中とはいえ、おかしいほどに、マツリの死は流されていった。
 まるで何かを隠そうとしているかのように、だ。
 それも今となっては納得できる。
 765プロにモンデンキントと関わりがあるのなら、その権力で情報を揉み消すことなど容易い。民間企業であるにも関わらず、国連にも強い発言権を有する一大組織にとってそれくらいは造作もないことだろう。それが本当なら。煮えくり返った宙のはらわたは、いっそ爆発してもおかしくない。
 「あんた達は、一体何を隠しているんだ!」
 張り詰めた空気が部屋を包んだ。高木はじっと宙を見つめ、やがて、
 「実は君に、折り入って頼みがあるのだ」
 「頼み? あんたが?」
 鼻で笑って、ほとんど挑発に近い返答。
 「もう分かっていると思うが、我々765プロとモンデンキントには密接な関わりがある。正確に言うと、765プロダクションという芸能事務所はモンデンキントJP、つまり日本支部がとある理由で進めているプロジェクトの一環なのだよ」
 それはあまりにも突拍子もないことだ。業界屈指の芸能事務所と、ドロップ迎撃の全てを担う世界最大の多国籍企業。この二つに関連性があるとはとても考えられない。とはいえ、天海春香がアイドルマスターであるという、それを裏付けるような証拠があるので、一概に馬鹿馬鹿しいと批判もできない。
 765プロとモンデンキントJP。関連性の薄い二つの事柄を結びつける要因とは――。
 「……IDOLか」
 天海春香の件から連想すれば当然そこに行き着くのだが、それでも解せない。
 アイドルとIDOL。それこそ関連性の欠片もないではないか。余計に頭が混乱してくる。
 「モンデンキントJPは、ドロップの破壊にIDOLを使用している。これは日本が、核兵器など強力な兵器を、条約上所有できないのが理由だ。隕石除去人型“重機”。IDOLは兵器ではないからね」
 「そんなの知ってるよ。一般的な常識レベルだ」
 「では、IDOLに大きな特徴があるのは知っているかね?」
 そこで高木は座っているデスクに置かれた電子端末を操作する。すると部屋の明かりが消え、天井から巨大なモニターが降りてきて、ガラス張りの壁を遮った。そこに映し出されたのは、先程までいた格納庫の映像である。
 「この映像を見て、気付くことはないかね?」
 言葉の真意を理解できぬまま、とりあえずおかしい所がないか探してみる。モンデンキントが所有している三体のIDOLと、ヴェルトール。無数に行き交う整備員。端には天海春香の姿があった。インベルに向かって、なにやら話しかけている様子だ。三浦あずさもそうだったが、マスターとはIDOLに話しかける癖でもあるのだろうか。
 なんてことはない、ただの整備風景だった。特に変わったところは見当たらない。
 強いて言えば、作業をしている人間が全員女性であることくらいか。
 「その通りだ。IDOLは女性しか触れさせない。まるで選り好みするかのようにね」
 「馬鹿言うなよ。たかが機械だろ。機械は性別なんて選ばない」
 「事実だ。実際、IDOLに関わる職員のほぼ全てが女性だ。君がここに来てから、私とジョゼフ君以外に、男性を見かけたことがあったかい」
 「む……」
 ない。これでもかというくらい女性しかいなかった。自分の存在が浮いているような違和感があったのは、なるほど、周りが女性だらけだったからかもしれない。そういえば事件の直後、如月千早も、IDOLに乗っている自分を見て驚いていたのを思い出す。
 宙は目線を下に、親指の爪を噛んで、考え込む姿勢で沈黙した。本当にIDOLの意思なんてものが存在するのだろうか、と。
 ……あるわけがない。所詮機械だぞ。――でも。
 IDOLに話しかけていた三浦あずさや天海春香のこともある。
 それに。
 “信じろと訴えかけてきたあの声”は、否定することができない。
 宙の操縦だけに反応したことや、エピメテウスに襲われた宙を救ったヴェルトールの行動は、ただの機械的な反射に位置付けてもいいものなのだろうか。ただの機械と、本当に断じてもいいのだろうか。
 「特にアイドルマスターは特殊だ。IDOL自身が気に入った女性しか搭乗を許さず、気紛れで動かないことすらある。だからマスター達は、日々女性としての魅力を磨く必要があったのだ。芸能活動というのは、その手段だよ」
 それこそが765プロダクション。アイドルマスターの候補生発見と育成という一大プロジェクト。そして高木達の正体であった。高木は責任者として、小鳥は補佐として、モンデンキントJPに所属しているという。
 出鱈目ではあるが、一概に全てを否定するには、今日一日で、宙は色んなものを目撃し過ぎていた。小鳥は真剣な表情を崩さないし、高木は相変わらず不敵な表情だが、それ故に心の内が読めない。宙自身も錯乱に近い状態で、何が本当で嘘なのか、判断するにはいまいち信憑性が薄く――。
 「待て、待て待て! その話が本当だとしてだ。あんたは、俺に何を求めるって言うんだ」
 混乱から抜け出そうと、一度考察は捨て置く。代わりに、明確に答えが帰ってくるであろう疑問を提示。例え全てが真実だと前提に置いたとして、自分に何の力もないことに変わりはない。天川宙が無力であることは、同じように前提にあることなのだ。
 「いや、君にしかできないことがある」
 ここからが本題だ、と高木は前置きして、
 「今回君が乗った黒いIDOL。先程調べてみたのだが、少々他とは毛色の違うIDOLのようだ。男性の君が操縦できるのだから、尚更だね」
 つまり前提が崩れる。IDOLは女性しか受け付けない。その大前提が。
 「加えてここ数ヶ月、ドロップの落下頻度が急激な勢いで上昇している。原因は目下解明中だが、その間にもドロップは地球に落下し続けている。我々モンデンキントはその対策のため、一機でも多くのIDOLを必要としている」
 「……先が読めたぞ」
 「これ以上言葉を重ねるのは意味がないな。単刀直入に言おう」
 是非に、と。願いの強さを強調した後に言葉が来た。

 「アイドルマスターとなり、我々と共にドロップの脅威と戦ってくれないか」

 それは。その言葉は。何の変哲もない生活を送っていた少年を、ある日突然、夢にも思わない、想定外の、奇想天外な、めくるめく冒険活劇の待つ魔法の本の世界に誘う古本屋を経営する老人の言葉くらいに、衝撃的な意味合いを含んでいた。いや、現実に起こっている分、それより遥かに強力な意味を含んで、天川宙を貫いたのだった。
 だから成り行きを見守っていた小鳥が慌てるのも、当たり前のことだったのだろう。
 「社長、しかし彼は……!」
 「正体不明のあのIDOLを解析するには、マスターの存在が必要不可欠だ。この状況下、迎撃の頭数に加えるにしてもね。すでにマスターと成り得る人物がいる以上、彼に委ねてみたいと思うのだ。どうかね宙君」
 「……」
 「我々と共に、世界を救ってくれないだろうか」
 世界を救う。まるで正義のヒーローになれと言われているようで。確かに、良い響きではあった。誰にできることでもない。おまえは選ばれたのだ。そういうものに、かつては憧れたのではなかったのか。姉さんのような正義のヒーローに。特別な存在に。
 けれど。
 「お断りだ。冗談じゃない」
 真っ向から容赦なく躊躇いなく、宙は高木の言葉を切り捨てた。
 右の人差し指を、びっと高木に向ける。形容できない混沌とした感情で。
 「それだ」
 高木は表情を崩さない。
 「その態度だ!」
 体内を黒い感情が駆け巡る。怒りのあまり、歯をぎしりと噛み鳴らす。力を込め過ぎるあまり手が震えて、息が荒くなる。大人しく話を聞いていた余波と言わんばかりに、心の奥から沸いて出てくる感情を抑える術が分からない。
 「あんたは何も分かっちゃいない! 俺がここに来たのは姉さんのことを聞くためだ、あんたのお願いを聞くためじゃない。世界を救う? ああ、あんた達はそうやって大きなことを成し遂げている気になっているのかもしれないが、勘違いするな。あんた達は人殺しなんだよ!!」
 こんな奴らに守られなければならない世界なら、滅んでしまえばいい。究極的に言ってしまえば、世界の命運よりも、天川マツリという姉の存在の方が、宙にとっては大切であるということだった。
 お前は度が過ぎる。それは姉弟愛というより崇拝だ。誰かがそう言ったのを思い出す。上等だ。マツリは宙にとって太陽。つまり、神にも等しい存在だったのだから。神がいない世界の存在意義などたかが知れている。
 荒く息を吐き出し言葉を切った宙は、抜き身の刀の如き鋭さで二人を睨みつけた。文句があるなら言ってみればいい。その口から、まだくだらない言葉が出てくるようならば、殴り殺してやる。嘘じゃない。それくらい、自分は自分の制御を失っているのだと宙は分かっているつもりだった。
 胸の動悸を抑えながら、宙は待つ。
 「……その通りだ」
 高木は言って、椅子から立ち上がった。
 君が正しい、と。宙を肯定した彼は、デスクを回り込んで宙の前まで移動し、まず、膝を着く。両膝だ。立ち膝の状態から、今度は両手をついて四つん這いの格好になり、L時になっている膝を更に折り曲げれば。
 それは土下座だ。
 己の非を身体全体で表わす日本で最大級の、謝罪だ。
 「……ッ!」
 「まず私がしなくてはならないのは、君に謝罪することだった。罪のない君が苦しみ続けてきたのは、間違いなく私のせいだ。私が愚かだったからだ。宙君、今更何を言っても、取り返しがつかないのは重々承知だ。許してもらおうなどとは思わない」
 だがしかし、言わせてほしい。
 「すまなかった……!!」
 宙は正直戸惑った。あの高木順一郎が、頭を垂れている。天川宙に。恥も外聞もなく。たかだか二十歳にも満たない子供に、強大な権力すら持つ大人が。心なしか、その背中は小さく見えてしかたがなくて、こんな高木の姿を、宙は初めて目の当たりにしたのだった。
 「な、何を素直に謝ってるんだよ……。そんなんで許してもらえると思ってんのかよ!」
 憤りも、憎しみも、ある種落胆さえ覚えてしまう。一時期は憧憬の念すら抱いた男が小さく縮こまって謝っている姿など、思いとは反して、決して見たいものではなかった。
 「どうしてそこまで、こんなガキに頭下げてまで。俺に期待するほどの価値なんてない!」
 「君じゃないといけない」
 「どうして……!」
 「君がマツリ君の弟だからだ。継いでくれないか。君に、マツリ君の意思を継いでほしい」
 「姉さんの、意思?」
 高木の言わんとしていることが分からない。高木が自分に要求しているのはアイドルマスターになることで、姉さんの意思とそれの間になんの関係があるというのだ。あるわけがない。あるのだとしたら、それは高木達とマツリの、765プロとしての関係だけだろう。IDOLとの関係なんて、そんなもの――。
 分からない。今日は分からないことだらけだ。自分が分からなくなるくらい。
 「君の言う通り、私達は君に嘘を吐いてきた。話せない事情があったのだ。いつかは全てを話さなければと思い、伝えられない悔しさが私達にもあった。しかし、それ以上に、マツリ君を失った君の苦しみに比べれば、それは些細な悔しさだ」
 そう言った高木の姿は、宙が知る四年前の彼と変わりはなかった。マツリをアイドルの道へ導いた高木順一郎。マツリに歌う幸せを授けた、かつての優しいその人であった。
 ふと過ぎった感情に宙は首を振った。そんな思い出、とっくの昔に捨て去ったものだと思っていたのに。
 「宙君、ヌービアムのことは知っているわよね」
 高木の言葉を引き継いで小鳥がモニターに表示したのは、黒い装甲に紫のラインの入ったIDOLだった。知っている。数年前“事故”によって大破し、解体処分になったと報道されたプロメテウス3・ヌービアムである。黒く逞しい威容を見かけなくなって、すでに久しい。当時その報道を聞いたのは、確か――。
 天川マツリが死んだ時期と、ちょうど同じ。
 「……ちょっと待てよ」
 宙の頭の中に、パズルのピースが浮き出てくる。
 「一般には解体処分ということになっているけれど、それは偽りの情報なの」
 本当は、強奪されたのよ。
 小鳥が言葉を紡ぐたびに、パズルのピースが頭の中で一つ、また一つと現れて組み合わさっていく。
 「……待てよ」
 「私達と敵対している組織があるの。“トゥリアビータ”というわ。四年前、私達はドロップ迎撃任務の際、彼らから攻撃を受けて、ヌービアムはほとんど撃墜される形で奪われてしまった。……搭乗していたアイドルマスターと共に」
 「待てって言ってるだろ!」
 765プロとモンデンキント。そうだ、最初からこの二つの関係性は提示されていたではないか。だとしたら、あるかもしれない。予測できたかもしれない。天川マツリとIDOLの関係性を。あるはずがないと思い込んでいた二つの、どうしようもなく繋がって、断ち切れないくらい強い関係性を。
 マツリとIDOL。マツリの死と同じくして強奪されたヌービアム。765プロがアイドルマスターを発見育成するためのプロジェクトだということ。マスターには女性しかなれないということ。
 ――最近ね、よく星を見る機会があるの。
 四年前の真実の断片が、宙の頭の中で組み合わさっていく。だがその全体が現れてくるほど、宙は何度も首を振った。まさか、と。
 ――それはとても綺麗で、いつも心を奪われるの。
 あの時、マツリが宙に言っていた言葉の真意は、つまり。
 呆然と佇む宙に、高木が最後の一言を、
 「彼女は、天川マツリ君は」
 ――いつか、あなたにも見せてあげたいわね。
 「ヌービアムの、アイドルマスターだったのだ」
 隠された真実を、言い放ったのだった。

                   ●

 IDOL操縦の天才。完全無欠のエース。それが天川マツリの肩書きだった。
 ――らしい。
 ドロップ撃墜率一〇〇パーセント。如何なる巨大ドロップでさえ、彼女の腕を持ってすればいとも容易く。どんなに困難なミッションも成功させて、笑顔で戻ってくる。天川マツリは完璧だった。アイドルとしても、アイドルマスターとしても、非の打ち所がないほどに。誰もが認めるほどに。
 だからこそ、彼女を襲ったあの事件は、圧倒的実力を持つ彼女ですら、回避することのできないものだったのだろう。
 知らなかった。自分の姉がIDOLに乗って、人類を守っていただなんて、天川宙はまったく知らなかった。知る由も、なかったのだった。姉さんのことはなんでも知っている、なんて思い上がりも甚だしい。大事なことは何一つ知らないではないか。宙は、胸を締め付けてくる事実を持て余したまま、ロビーの椅子に腰を下ろしていた。
 考える時間がほしい。結局、考え抜いた末に、掠れた声で宙は答えた。高木達の視線から逃げるように社長室を出て、帰路につく気力もなく、こうしてロビーの椅子に身を預けているのである。夜も遅いためか、人の行き交いは昼よりも少ない。この状況ではそれがありがたかった。
 「俺が、姉さんの意思を継ぐ……」
 死んだマツリの意思を継ぎ、アイドルマスターとして地球を守る。高木はそれを望んでいた。その力があるのだと言っていたけれど。
 「なに考えてるんだ。これじゃまるで――」
 高木の誘いを受け入れるつもりみたいではないか。
 さも、アイドルマスターになるのが自然な流れみたいに、考えている。
 それは違う。
 宙にはIDOLに乗る理由など欠片もない。天川マツリは死んだのだ、遺言もないまま。そんな彼女の意思を継げと言うのが、おかしな話だ。マツリは自分の意志を託してなどいないのだから。高木達が勝手にのたまっているに過ぎない。彼女の気持ちなど、今となっては誰にも分からないことである。
 だからこそ考えてしまう。
 あの人ならなんて言うのか、と。
 考えれば考えるほど、迷宮に迷い込んでいくようだった。突きつけられた事実は信じられないほど出鱈目なことばかりで、反してそれらを裏付ける体験もしてしまった。高木達の言っていることは本当なのかもしれない。だとすれば、誰も悪くない。天川マツリが死んでしまったことに関して、責任はどうあれ、誰にも罪はないのではないか。
 高木達も苦しんでいたのではだろうか。そう、感じてしまう。しまうけれど。
 それでも天川宙は、彼らを許すことができない。
 例え、彼らが自分と同じように悲しみ、苦しみ、良心の呵責に押し潰されそうになりながら生きてきたのだとしても。本心と立場のせめぎ合いの中で痛みにのたうちながら泣き叫んでいたとしても。どれだけ懸命であろうとも、彼らを許すわけにはいかない。許しては、いけないのだ。
 そんな簡単に決着をつけてしまえるほど、両者の間に横たわった溝は、容易いものではないのだから。
 故に宙は、高木の誘いを受けることが憚れているのだった。
 「元気、ないですね」
 声は背後からだった。振り向くと、如何にも心配そうな様子の女性が立っている。三浦あずさだ。その隣には二人、中学生くらいの少女達が一緒だった。
 前髪を上げて大きく額を見せる長髪の少女が一人。タートルネックのカットソーの上に、紺色のハイウエストワンピース。ピンクのレザーブーツが、彼女によく似合っている。外見だけ見れば実に女の子らしい、可愛らしい様子の彼女だが、不機嫌さを隠しもしない辺り、よほど強気な性格と見受けられた。
 見た目に気を使っています。言葉にせずとも伝わってくる少女とは対照的に、少々古びた格好の少女がもう一人。
 笑顔が眩しい少女だった。大きく咲いた向日葵のような笑顔が似合う子で、天然のウェーブのかかった髪を結い上げツインテールにし、活発的で明るい印象を受ける。長い間着ている服なのか、トレーナーの首元はダブダブに伸びていた。古びた、と表現したのはそこからだ。その首から、カエルのポシェットをぶら下げている。
 見覚えのある二人だった。
 「水瀬伊織と高槻やよい、か?」
 最近テレビに出るようになった売り出し中の二人である。オールバック娘が水瀬伊織で、ダブダブ娘が高槻やよいだ。
 「へぇ、この水瀬伊織ちゃんのことをちゃんと知っているみたいね。褒めてあげる」
 「……別に」
 芸能関係の記事を調べるのは、悪いことに、半ば癖のようなものだった。元々はアイドルとして活躍するマツリを追っている内に、段々と詳しくなっていたったのが始まりだけれど、マツリのいない今では、意味のない行為に過ぎない。
 「なに、その態度。それにパッとしない顔ねぇ。こんな奴がIDOLを動かしたなんて、信じられない。ただの誤作動とかじゃなくて?」
 物を見定めるように下から上にジロジロ見てくる伊織の態度こそ、初対面の人間に対するものではないだろう。なんて慇懃無礼だ。確か彼女は、テレビでは愛想の良いキャラクターで通っていた気がする。なるほど、猫被りだったというわけだな。
 「あんた本当にアイドルマスターになるの? 悪いこと言わないからやめときなさい。あんたみたいな暗~い奴が身内にいたら、こっちの気分も悪くなるもの」
 「余計なお世話だよ……!」
 初対面でここまで女王様でいられると、もはや不快を通り越してある意味清々しくすら思えてくる。が、頭にくるかどうかは話が別。傲慢不遜な態度を崩さない伊織との一触即発の雰囲気に、
 「い、伊織ちゃん、失礼だよ……。あの、初めまして。高槻やよいって言います! 男の人なのにIDOLを動かしたんですよね? すごいですぅ!」
 対してやよいは、底抜けに明るい笑顔を宙に向けた。こちらは前評判通りの性格らしく、人懐っこい感じのする、動物で例えるならばハムスターのような子だった。家が貧しくて趣味が節約という、なんともサバイバルな情報を耳にしていたのだが、服装を見たところ、あながち冗談ではないのかもしれない。
 ……そうか、二人もアイドルマスターなのか。
 会話から察す。765プロのアイドルは全員マスター候補。そう考えると、別段驚くべきことでもない。非常識な話だと溜息を吐きながらも納得してしまうあたり、順応してしまったのだなと諦めもする。もしくは頭が働いていないのかのどちらかだ。
 「二人がどうしても会ってみたいと言うので~。伊織ちゃんは恥ずかしがってるだけですから、気にしないでください」
 抗議の声があがるものの無視。あずさは隣に腰掛けると、宙と視線を合わせて、
 「音無さんに話を聞きました。アイドルマスターになるんですか?」
 「……俺はならない。なる理由がない」
 「そう、ですか……」
 言葉にしてようやく、宙はこれが意地だということに気付いた。高木達の思惑通りになるものかという、子供染みた意地の強さを、ここにきて初めて感じ取ったのだった。それでいい。乗る理由もなければ誘いを受ける道理もない。ないない尽くしで、そこに意地まで加わったのなら、もう悩み必要なんてないさ。俺は、マスターになんかならない。
 ただ、わずかに脳裏を過ぎるのはあの声のこと。
 「せっかく、あの子もあなたを気に入っていたのに」
 「俺は巻き込まれただけなんだ。姉さんのことだってどこまで本当なんだか」
 「だったら早く帰りなさいよ。そんなに嫌なら、なんでここでウジウジ悩んの? 口では理由がないとか言ってるけど、本当は自信がないだけでしょ」
 伊織からの明らかな挑発に、宙は顔をしかめた。自信がないから。伊織の言う通り、本当は自信がないだけなのではないか。心のどこかで、否定のできない自分がいた。
 マツリと同じ使命を背負う。本来ならば、それこそ光栄で、諸手を挙げて喜ぶ出来事のはずだ。自分から食い付くほどには魅力的なはずだろう、憧れていた姉の後を継ぐのだから。それを意固地になって拒否しているのは、単純に、恥を晒して高木達に笑われるのが悔しいから。そうでないと誰が言える。
 他ならぬ宙自身でさえ否定できないというのに。
 今自分を動かしている原動力だって、小さな意地だと、自分でも思っただろうに。
 「ほら、何も言い返せないじゃない」
 「う、うるさい! どうせ俺は姉さんみたいにはなれないんだよ!」
 「何が姉さんよ。気に食わないわ、やっぱりあんたなんかにアイドルマスターは勤まらない。帰りなさい、それでずっと頑固に意地を張ってればいいのよ。邪魔ね」
 伊織ちゃん! こんな奴ただの根性なしじゃない! 言い過ぎだと主張するあずさに、対して伊織も声を荒げた。期待外れと蔑む視線を宙に向け、
 「男がマスターになるって言うからどんな奴かと思ったけど、とんだ腑抜けだわ。ただのシスコンじゃない。こんな奴が弟じゃ、“あの”天川マツリもたかが知れるわね」
 「……おまえッ、今のは聞き捨てならないぞ!」
 こいつは姉さんを馬鹿にしやがった、よりにもよって俺を材料に。宙にはそれがどうしても許せなかった。自分はいくら貶められようと我慢できる。だが、マツリまで同列に扱われることに宙は憤怒した。椅子から立ち上がり、伊織を指差して怒鳴る。姉さんの凄さも何も知らないくせに馬鹿にしたな!?
 「何も知らないくせに知ったような口を叩きやがって!!」
 「知らないわよ、知ったことじゃない」
 伊織は憤る宙をそう切って捨てた。
 「私達は、アイドルマスターという仕事に誇りを持ってるわ。そんな中途半端な気持ちでマスターになられたっていい迷惑よ。誇りも覚悟もないあんたなんか!」
 言い返そうとして、しかし宙は何も言えなかった。伊織の言うとおり、今の自分には誇りも覚悟もない。あるのは下手なプライドだけだ。意固地になって、何一つ決められず前に踏み出すことの出来ない臆病者だ。
 姉さんならこんな時どうしたのだろうか。そう考えてしまう自分は、弱いのだろうか。
 視線を地に落とした宙に、伊織は鼻を鳴らして踵を返す。もう用はないと言わんばかりに。歩を進める伊織を追いかけて行くやよい。二人の足音を聴きながら、宙はゴチャゴチャと入り混じった思考の海に身を沈めていった。
 「これだけ言っておくわ」
 去り際、背を向けたまま伊織は、ほとんど叫んで、
 「大事なのは、あんたがどうしたいかでしょ!?」
 その言葉の意味は、空虚な宙の心をズンッ、と射抜いた。
 思わず顔を上げた先、去っていく伊織とやよいに、しかし宙は何もできずに見送ることしかできなかった。天井を見上げて、五里霧中な己の明日に考えを巡らせる。
 自分がどうしたいか。そんなこと、この四年間考えもしなかった。ただマツリが死んだ事実だけが重く圧し掛かり、道の見えない明日をがむしゃらに走っていただけ。
 沈黙する宙に、あずさは相変わらず“心配そうな”表情で頭を下げた。
 「すいません。伊織ちゃんは、ちょっと勝気な子で……」
 「やめろよ」
 「え?」
 「やめろよ、優しいフリなんてごめんだ!」
 「そんなフリなんて、私は本当に――」
 「嘘だ! 皆そうだ、優しいフリをして、最後には裏切るんだ!」
 慰めるつもりだったのか、肩に置かれようとした手を振り払い、宙はついに走り出した。気持ち悪い。勝手に触らないでくれ。捨て台詞を散々残して、逃げるように、あるいは何かを振り切るようにして宙はビルを後にした。最後に、ポツンと残されたあずさの所在なさ気な姿だけを、瞳に映して。
 どうしてあんなに気が立ったのか、説明はできない。今日起こった出来事に混乱したのもあっただろうし、伊織との口論に腹が立っていたのもあっただろう。でもおそらくは、あずさの優しさが怖かった。それが一番の理由なのかもと、夜の街をひたすら走りながら、宙は考えていた。
 あの人は優しいんだ。まるで、姉さんのように。
 不思議な優しさだった。後になってからそう思う。今日出会ったばかりの自分を、あんなに“心配”してくれたあずさの気持ちは、正直、暖か過ぎて、受け入れ難かったのだ。高木達に裏切られ、誰も信用できなくなって、他人を避けていた宙にとっては、三浦あずさの存在は計り知れないものだったのかもしれない。
 とてつもなく。
 宙の心に、大きくその存在を残す程度には。
 この手を包んだ彼女の指先の感触が、今になって鮮明に蘇ってきたのだった。



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