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 第十九話 リコリス


 海上を弾丸飛行モードで突き進むインベルの姿があった。
 四肢を折りたたみただ直線的な加速を追い求める姿は、もっと速くという天海春香の願いの具現だ。おそらく、すでにヌービアムと接触しているであろうヴェルトール。追加のコラプサーによるかの機体の速度は常軌を逸しており、出遅れた分を取り戻すには至っていない。お願いインベル、もっと急いで!
 コアから供給される莫大なエネルギーが全て推進器に回され、噴射口から吐き出される火炎が更に強くなった。春香の想いにインベルが応えている証拠である。
 が、春香が危惧しているのはそれだけではない。
 出撃の時にジョゼフが言っていたこと。現在の月見島周辺の状況は、先日のアイスランドと状況が酷似しているという忠告。つまり、複数のIDOLが一カ所に集まり戦闘を行っているという事実が春香の心中に焦りを生み出していた。
 可能性。危惧しているのは可能性に他ならない。IDOLを狙って現れるあの“異形の存在”に対する畏怖。
 ……みんな、無事でいて……!
 フットペダルを更に押し込み、文字通り弾丸の如く春香は飛ぶ。

                   ●

 「如月達は先に行け」
 サイーデに照準を合わせたまま、天川宙は平坦な声で言った。同時に周囲を取り巻く状況を密かに確認する。
 この場に存在するIDOLは全部で八機。エピメテウス五機に新型機サイーデを投入する敵に対して、こちらはヴェルトールとヌービアムのみである。ヌービアムとサイーデは互いに対極の位置におり、その間、ヌービアムを庇うようにヴェルトールがいる。エピメテウスが周囲を取り囲んでいる以外に、障害になりそうなものはない。
 戦力比はやや不利か。目を細め、そういう打算を脳内で展開した宙は、考えた末に言ったのだ。先に行け、と。
 「サイーデは俺が引き受ける。その隙に月見島へ行くんだ」
 『でも宙を一人にするわけには……』
 「如月、自分の役目を思い出せ。心配しなくてもあとで合流する」
 『けれど……』
 「悪いけど、エピメテウスまでは手が回らない。雑兵はそっちで片付けてもらうことになる。自分の心配をしてくれ」
 『ハニー? なんだか、ちょっと怖いよ?』
 「大丈夫だよ。さぁ、早く!」
 わずかに沈黙が横たわった。やがて、
 『……分かったわ。後で会いましょう』
 決断した千早はヌービアムを反転させ、月見島の方角へと機体を向けた。宙はほっとする。素直に聞き分けてくれるのは有り難い。が、若干含みのある返答の裏には、何かしら引っかかりを覚えている節もある。感の良い奴だな。思い、それを最後にサイーデへと意識を集中した。
 大きく息を吸い、吐く。身体を走る血流も内を震わして叩く鼓動も、一息というリラックスで落ち着かせる。大丈夫だ、操縦桿を強く握り過ぎて血の気の引いた手も段々と戻りつつあるし、身体を苛んでいた興奮もコントロールできるくらいには収まっている。
 今の自分は正常かつ冷静だ。
 『勝手に話を進めないでもらえるかしら』
 途端、ヌービアムの行く手を遮ってエピメテウスが壁を成した。どうやら、簡単に行かせてくれる気はないらしい。無論、当然と言えば当然だが。
 「そこの機体のマスター。あんたはリコリスで間違いないな」
 『イエスよ。しばらく会わない内に……ずいぶんと雰囲気が変わったわね』
 宙は、首筋の後ろがちりちりと粟立つのを感じた。あの声を聞いただけで、アイスランドでの出来事がリフレインして、眼が充血して目の前が真っ赤に染まりそうになる。刹那的に荒いだ呼吸を噛み殺し、千早達へ早口に告げる。急げよ、と。
 『大人しく従ってくれる気は、ないようね』
 優雅とも取れる響きでリコリスが言って。サイーデが右腕をすっと掲げ、
 『それなら、遊びましょうか』
 振り下ろす。それを皮切りにエピメテウスはヌービアムへ進撃し、ヌービアムもまた、月見島に向かって脚部推進器から火炎を噴出させた。あっという間に遠のいていく鋼と鋼の打ち合わす不協和音。それすら、宙の意識は遮断している。
 『行ってしまったわよ。……何か私に用事があったのでしょう?』
 「話が早いよ」
 どうやら彼女は、宙の思惑を察していたらしい。千早達を早々に“遠ざけようとしていた”わけに。ようやく本音を話せる開放感に身体の緊張がわずかに弛緩。
 状況は整っている。回りくどい言い方はしない。単刀直入に、問う。
 「あんたは姉さんなのか? ――天川マツリなのか」
 「やっぱり聞きたいのはそういうことか。予想通り過ぎて拍子抜けだわ」
 「答えてくれ、あんたは何者なんだ! あんたの――」
 その姿はどういう意味を持っているのか。
 天川マツリと瓜二つのその姿は、何を意味しているのか。
 アイスランド以来、ずっと疑問を抱き続けてきた。支配されていたと言ってもいい。最愛の姉。そして死んだはずの姉。そこに現れた瓜二つの女性。当然の帰結で、誰だって思ってしまうだろう。もしかして姉は生きていたのではないか、と。リコリスと名乗っている理由も、トゥリアビータに参加している理由も、置き去りにしようとも。
 生きていてほしいと願って何が悪い。
 宙の切実な願いを聞き届けたリコリスは、頬を緩ませて言葉を紡ぐ。
 『反吐が出るわね』
 一笑の元に想いを両断する一言。胸が引き裂かれるような痛みを錯覚する。
 『私は天川マツリではない。もう一度言う。私は、あの女ではない!』
 宙は悲しみに満ちた空虚を。リコリスは殺意に満ちた怒りを。それぞれ真逆の反応を見せて対峙する二機のヴェルトール・タイプ。向けられた銃口をも歯牙にかけず、リコリスは剣呑な雰囲気を纏って宙を貫いた。
 ……だったらあなたはなんなんだ。
 声にすらならない疑問を吐く。一度も忘れたことのない姉の姿と、リコリスの姿はあまりに似過ぎていた。髪の色、目の色が違ってしまっていても、天川宙が姉の姿を見間違えるはずなどない。故に疑問が生まれる。リコリスは何者なのかと。
 胸の苦しみは吐き出したくても吐き出せない。
 「あんたは姉さんだよ!」
 『黙れ!』
 憎悪すら滲ませる怒声が響いた。びくりと身体を震わせた宙の動揺を突き、サイーデがレールガンを向け返す。交差する銃口。反射的にトリガーを引きそうになって、慌てて片手で押さえ込む。ダメだ、これはあくまで脅し。“まだ”撃ってはいけない。事の真相を明らかにするまでは、まだ。
 『私はリコリス。トゥリアビータ所属のアイドルマスター。他の誰でもない! 坊やの求める天川マツリは死んだのよ!』
 それが覆ることのない真実。もうこれ以上、
 『坊やの幻想を私に押し付けるな……!』
 銃口が更に強く向けられる。感情が爆発すれば、その瞬間にヴェルトールを撃ち抜くだろう。死にたくなければ先に撃て、と本能が告げている。身体が震える。震えて、握った操縦桿が小刻みに揺れ動いた。震えは全身に至り。俯いた視線、目を閉じ、宙は自分に問いかけた。撃たなければ殺されるぞ。
 けれども。反発する意思が渦巻く。けれども、リコリスの言葉だけが正しいのか。それだけで納得できるのか。マツリとリコリスの関係性。リコリスの過剰な拒否反応から見ても、二人の繋がりは間違いなく存在する。
 まだピースは抜け落ちたままなのだ。最後のピースを嵌め込むまで、天川宙は――。
 「納得がいかない。あんたはまだ何かを隠しているはずだ」
 この気持ちに収まりをつけ、結果を手に入れる。そのために必要なものは用意してきた。
 「討つ覚悟を、もう一度心に刻んできた!」
 『そう、なら最初から実力で聞き出せばいいじゃない』
 合図は唐突に。真夜中の海上に、
 『やれるものならねっ!』
 瞬間、二重の射撃音と共に舞踏の幕が切って落とされた。
 回避は経験より引き出された刹那の反応によるもの。二極の銃撃は互いの機体を掠めて後方へ。両者、すぐさま戦闘思考へ移行。
 『まずは距離を……!』
 「引いたらやられる、攻めろ!」
 正反対の決断。それは二人の経験から弾き出された。
 リコリスには強者としての余裕がある。故に正攻法。対して宙には弱者として知恵を駆使する戦法が必要だ。一度リコリスにペースに呑まれれば苦戦は避けられない。ペースは自分で作り出さなければならないからこそ、前に出た。
 引き下がりはしない。それは、宙の心を表す行動だったとも言える。
 弱気は殺せ。捻じ伏せろ!
 ヴェルトールとサイーデ。二機は同時に機体を加速させた。どんっ! という空気を叩く加速音は、一秒も満たずに最大速度へ到達した証。常人には機体の影すら霞んで見えたであろう。二機は上へ、上空に向かって飛び出し、握る武装で相手に狙いを定めた。
 発射。
 ――初撃を制したのはサイーデだ。雷音にも似た発射音が耳に届くより先に、サイーデのレールガンがヴェルトールの重力殻に直撃した。なにせ音速の三倍である。肉眼では直視することすらままならならず、プラズマのカーペットを残して威力を発揮。
 だが一秒間に三発、それも同じ着弾点をほぼ正確に狙い当てた攻撃は、黒の装甲にダメージを与えること叶わない。
 ヴェルトールの防御は二重の鉄壁に守られており、重力殻を貫通しても、その先にある多重装甲バインダーが弾丸を受け付けない。戦慄を覚える脅威の鉄壁を活かし、ヴェルトールは回避を忘れて突進した。
 回避はそれだけでひとつ動作を加えることになる。先を読み合い、少しでも多くの攻撃を繰り出し、また相手に隙を与えない攻防において、回避は身を守る代償に手数を失うことにも繋がる。
 だから避けない。化け物染みた防御力で攻撃を中和し、回避を捨てた分だけ攻撃する。
 宙が勝利を得るために選択した戦法だった。
 『機体の性能に助けられてばかりではね!』
 レールガンの威力では決定打にはなり得ない。ならば、と。リコリスはサイーデの背部に装備された筒状のミサイルポッドを展開。
 ヒドルンの使用していた慣性制御中和型ミサイル弾頭。小型の赤い円筒が一斉に白線を引いて発射され、無数の首を持つヒュドラの如くミサイルが牙を剥く。その間も、牽制としてレールガンの連射は止まらない。
 上手い動きだ。単発の威力では群を抜いているこちらの新武装だが、アルツァヒールのように広範囲を薙ぎ払う使い方はできない。数十発のミサイルを一度に迎撃することは不可能である。
 アルツァヒールは現在修理中。例え盾を用いたところであれほどの物量、爆発の衝撃はヴェルトールごと空に紅蓮の華を咲かす。避けきれるかという自問に、無理だ、と素直に返す自分がいる。
 ……なら別の手を使うまで!
 宙は操縦桿横にある単独操縦用の簡易コンソールで、登録しておいた武装選択をワンタッチで発動。機体状況を示すサブモニターの背部スタビライザー部分が点滅。V字展開されていたスタビライザーの表面装甲が割れ、基部に埋め込まれた幾多の電子回路がその役割を果たす。
 次の瞬間、ヴェルトールに頭を向けていたミサイル群が、不可視の壁に阻まれたかのようにその向きを変えた。一つは天へ、一つは海へ。制御を失った無数のミサイルは四方へと散っていく。
 『ECM!?』
 「これでミサイルは使えまい!」
 受動的電子攻撃。チャフ、洩航デコイ、ステルスなどに利用され、敵が使用する電子スペクトラム、簡単に言えば電磁波を妨害、滅殺することができる技術のことだ。
 オービタルリングの放つ妨害電波を考慮し、軍事兵器の大半がそれに順応(アクティブホーミング形式等)した昨今でもECMは確かな効力を発揮する。
 無力化され、散っていくミサイルなどただのピン同然。恐怖の対象には入らない。今が好機だ。宙はフットペダルを蹴り倒し、ヴェルトールはサイーデへの直線コースに飛び込む。空気の白線が尾を引いた。
 『この追加装備、戦闘仕様で……!』
 IDOLは元々ドロップ迎撃用の人型重機。例え優れた戦闘力を誇っていても、決して兵器ではない。それがモンデンキントのIDOLにおける“言い分”だったはずだ。
 IDOLを戦闘用として軍事転用したのはトゥリアビータが初めてで、武装搭載型が実戦投入されたのはつい先日の話である。だと言うのに、モンデンキントは早々に対策を講じてきた。いくらヴェルトールという戦闘用IDOLの雛形が存在しようとも、このわずかな間に装備を用意できるはずもない。つまり、
 ……上層部は最初からIDOLの軍事転用を考えていた?
 もしくは、近い将来に武装したIDOL同士の戦闘を予期していたのか、どちらかだろう。
 考えても答えは導き出せない。理解できるのは、その用意がこうしてヴェルトールの戦闘能力を確固たるものにしたこと。それだけだ。それだけで十分ではないか。
 風が裂かれ、真夜中に溶ける黒い巨体がサイーデに迫る。
 「武装を破壊して無力化すれば!」
 『手を抜いて私に勝てる道理がない!』
 ヴェルトールの接近に対し、サイーデも前進することで応えた。銃撃の応酬を交わしながら、しかしこちらの光線は軽々と避けられ、弾速で勝るレールガンがヴェルトールの重力殻を削っていく。
 それでも退かない。退くわけにはいかない。両者の動きは円を描くように一度回り、機動が描く円を銃撃が縦に割る。そして、激突した。
 破砕音。鋼が折れ砕け、破片となって消えていき、両機は胸から抱き合うように機体をぶつけ合った。二機の腕は脇を抜けるように背後に流れ、頭部と頭部が見詰め合う至近距離となる。互角か。宙もリコリスも、彼我の戦闘力に舌打ち。
 『機体の性能差がこれほどまでとは……!』
 リコリスが言い、
 「これだけ性能差があっても圧倒し切れない!?」
 宙が言った。ヴェルトールとサイーデの性能差は明らかな差がある。それでも戦闘が互角に止まっているのは、ひとえにアイドルマスターの力量故だ。
 やはり強い。圧倒的な実力差を覆すには至らない。
 至らないけれど。
 だからこそ、超えなければ求めるものは手に入らない。
 「だから……!」
 宙は機体を動かした。背後に回った腕で、サイーデの首根にあるコックピットを引き剥がす。そうすれば――。
 『させない!』
 しかしリコリスも行動した。腰部にマウントした“柄”を握り、引き抜いたのだ。
 刃。黒く塗装された刃である。刀身はさほど長くない。人間サイズで言えば刃渡り十センチほどのファイティングナイフ。突き入れる角度は、下から上にかけてのほぼ九十度。胸部に押し込む形で振るわれるだろう。
 切れ味はどれほどのものか。追加装甲により厚みを増した胸部を貫くほどの威力を有しているのか。ただの鋼では役不足だが。
 ふと、アイスランドでの戦闘記録を思い出す。テンペスタースの交戦した細身の人工IDOLは、慣性制御を利用した斬撃を仕掛けてきたという。――楽観的解釈を破棄。わずかな可能性でも潰すしかない。
 思考は刹那。サイーデの肩に手をかけて、それを突き飛ばすことで距離を得た。びゅん!と空気を裂く音。一息の間すら置かず、胸部表面を奔った亀裂が結果を証明した。
 一命を取り留める代わりに生まれた大きな隙という結果を。
 「今のはフェイクかっ」
 後方に避けることで生じたわずかな距離。が、敵を狙い打つには確実な間合いだ。突き出されるレールガンの銃口。いくら鉄壁を誇る二重防御でも、
 「この距離は、拙い……!」
 『チェックメイトよ』
 弾丸に込められた殺意は確実にヴェルトールを貫くだろう。
 さすがだと思う。
 だが、とも思う。
 奥の手を用意していないほど、宙はリコリスを侮ってはいない。
 そして弾丸が放たれる直前、ヴェルトールの姿が突如としてリコリスの視界から消えた。響く発射音は何も穿つことなく、閃光を宿して真夜中に溶けたのである。
 『っ! 消え……いや、上!』
 上空、いつの間にかヴェルトールが頭上を取っている。
 心中に生まれた疑問は、リコリスに予想外の焦りを与えた。何かトリックをして見せられたのは間違いない。おそらくこの焦りすら宙の術中だと理解しているものの、暴けなければ無意味も同然。何をした。あの少年は何をしたのだ。
 そんなリコリスの疑問を嘲笑うかのように、宙は再びトリックを体現した。
 ヴェルトールの、機体の超重量を押し出す脚部推進器。それが、一度発火して閃いた。ぼぉっ! と闇に映える炎。
 一拍置いて、その炎が一気に勢いを増す。二度目の発火である。直後、炎を宿したヴェルトールは“消える”という表現すら生温い速度を発揮した。瞬間的に音速を突破する超加速。残像すら残しかねない異常な加速だ。
 加速は、特徴的であった。何故ならば、その加速は妙に直線的だったのだ。まるで流れ星のように空間を一直線に流れ、そして速い。優れた弾速を誇るレールガンでさえ当たることのない超高速機動。銃口を向けた時にはすでに別の方向に移動している。
 『この動きは……』
 アフターバーナーというものがある。
 戦闘機などに装備されている装置で、点火しているエンジンの排気にもう一度燃料を吹きつけることで燃焼させ、膨大な燃料と引き換えに超加速を得るシステムである。空中戦において速度の差は生死に繋がる。速度差という致命的な弱点を補うために装備されるのがアフターバーナーだ。
 宙が行っているのはそれとよく似た原理である。脚部推進器のエンジンに多大な負担をかけて、その代償に超加速を得るアフターバーナーを再現しているのだ。
 本来アフターバーナーは高推力が必要な場合に限定的に使用するもの。それに倣い、通常時と使い分けることで、瞬時の超加速によって突然“消えたように見える”。過去の模擬戦闘において伊織を打ち破った超機動こそこれだった。
 これで、速度において圧倒的な有利が約束された。脚部推進器にかける負担は通常時より大きい。短期決戦の心構え。この技術を持ってして勝負に出る。
 ……上回れるか!?
 奥の手は出した。ジョーカーは切った。これで、果たしてどこまで差を縮めることができるか。
 戦闘は、激化の一途を辿る。
 「あんたの正体を聞き出すまでは負けられない!」
 『それを知ってどうするというの? それで還ってくるものなんて何もないのに』
 「取り戻せるものだってあるはずだ!」
 『傷つくと分かっていても?』
 「こんな気持ちを抱えて生きていくよりはいい!」
 『……そう』
 慣性制御ですら殺しきれない負担に歯を食い縛りながら、宙は操縦桿を引き、機体を反転させる。この速度ならリコリスの裏をかけるはず。死角から死角へと超高速で移動するヴェルトール。タイミングを見計らい、加速が頂点へと達した瞬間。
 ヴェルトールが雷光の如く駿足で、サイーデの間合いを詰めに飛んだ。サイーデが振り返るよりも早く突き出すこの銃口が、戦いを決着できるものだと宙は予感し、確信していた。瞬間的な意識の交錯。そして、
 「……どういうつもりだ」
 ヴェルトールは急制動をかけて停止する。ライフルはサイーデに突きつけられはしたが、引き金に指をやる宙は射撃の意を弱めていた。
 原因はリコリスにある。
 あろうことか、サイーデは、両手を広げて降伏の姿勢を取ったのだから。
 訝しげに表情を険しくした宙は、静かに理由を告げる彼女の声を聞いた。
 『そんなに知りたいのなら教えてあげる。私の正体』
 笑っているのか。苦しんでいるのか。どちらとも取れない妙な色を含んだ言葉が飛んでくる。宙が知りたいと願ったこと。教えるとリコリスは言う。
 そこで終わらなかった。リコリスは言葉を続けたのだ。
 『私はクローンなのよ』
 「……クローン?」
 思わず、眉を歪ませた宙は、今の言葉を反芻する。予想外の単語が上手く飲み込めなかった。
 リコリス。人間とコアのハイブリットであるミシュリンク、その失敗作=バスタルト。天川マツリと瓜二つの容姿を持つ女性。その正体がクローン? 遺伝子的に同等の人間を複製するという、あの? 
 ――誰の?
 ああ、聞くまでもない。
 そうして宙は、一瞬、心臓が止まったかと思うほど辛く重い痛みを味わった。瞳孔がだんだんと拡大してくのが、分かる。
 トドメはひどく冷徹な温度を持って発せられた。
 『リコリスという存在は、天川マツリのDNAマップを元に造られたクローン、ということになるわ。容姿が瓜二つなのもこれで納得いくでしょう?』
 淡々と紡がれる声を聞くのは、何故か、心臓を抉られるような痛みを伴った。
 『どう? これで満足かしら』

                    ●

 戦いの音が止んだ。攻撃の交差、回避の乱舞を繰り返していた戦いが、今は音すら邪魔者扱いだった。黒と灰。ヴェルトールとサイーデは空中で静止して、それ以上動くことはない。牽制、ではなく。告げられた話を前に呆然としているのだ。
 自分は天川マツリのクローンだと言う、リコリスの言葉に。
 宙の頭はとかく真っ白だった。真っ白で、疑問とかそういうものを蓄えた頭の中が、ブラシでごしごし削られ綺麗に剥がされて、どこかへ投げ捨てられていくようで。ただ口の中がからからに乾いていることだけが、妙に意識させられた。おかしな感覚だ。喉が渇いている。そう、喉が……。
 違う。意識するべきはそんなことではない。眼前に現れた現実を認めたくないから、駄々をこねているに過ぎない。
 クローン。現実離れしている現実。いや、もっとはっきりと、絶望とさせる簡単な言葉があるだろうに。リコリスは天川マツリではない。ならば?
 天川マツリの死は覆らない。
 淡い希望ほど脆いものはない。
 『そんな馬鹿なことがあってたまるか!』
 ようやく吐き出した言葉は全身全霊の否定だ。クローンだなんて。現実的ではない。暦が復興暦となってから一世紀という月日が流れたが、いまだ、人間の複製技術が確立されたという話は聞いたことがない。倫理的にも認められないものだからだ。
 『忘れたの? トゥリアビータの技術力は世間より遥かに高いものだってこと』
 ――確かにそうだ。クローン技術くらいわけがないと言われれば、納得してしまうほどの技術力が彼らにはある。
 けれども認めたくはない。
 首を振って否定することで、心の支えを失うまいとする宙の眼前にリコリスの姿が映った。モニターだ。よく見ればサイーデの右腕から細いワイヤーが飛び出していて、ヴェルトールの首根に巻きついているではないか。通信用のコネクター。機密性の高いIDOLにパス無しで通信を開くためにはこのような手段を取るしかない。
 重要な話だから顔を見ながらにしましょうか、と言って意味深に笑って見せたリコリス。目はバイザーによって隠されているが、その奥にあるであろう、“姉と同じ顔”を見せられるのが今は辛かった。あれほどまでに会いたがっていたというのに。
 リコリスは告げる。よく聞きなさい、と前置きし、
『教えてあげる、坊や。これから話すことは全て真実。その腐った頭に、真実という力の重みを教えてあげる』
 まず何から話そうかしら、と。頬に人差し指を当てて笑うリコリスを、宙は黙って口を噤むしかなかった。やがて、自分の知識を引き出すように俯いたリコリスは口を開いた。宙の知らない真実を、教えてやるために。
 『天川マツリはね、四年前、確かに死んだわ』
 心臓が高鳴る。意識せず漏れた、嘘、という声にリコリスは首を振った。
 『天川マツリは死んだ。本当はヌービアムを鹵獲した際、マスターとして“再利用”しようとしたそうだけれど、コックピットにダメージがあったらしく、ヌービアムは大気圏に落下して行った。そんなことになればどうなるか……言わなくても分かるわよね?』
 焼け死ぬどころの話ではない。外側と内側から燃え尽くされ、後に残るのは良くて人の形を留めた“物”だ。生きていることは在り得ない。人の死に方ではない。ドロップという脅威から地球を守ってきた偉大な人物の、尊厳ある死に方では断じてない。摩擦熱の熱さに苦しみ、痛みから解放されることなく、死ぬ。
 『嫌な死に方よね』
 リコリスは、再び自分の顔をなぞりながら言った。なぞる。指先で爪を立てるような仕草に疑問を抱きつつ、宙は黙ってリコリスが言葉を紡ぐのを待った。否、声が出せなかったのだ。余裕を失っているのが嫌でも思い知らされる。
 そんなことを考えていたら、リコリスは突然、爪を頬の肌に突き立てた。肌は抉れて、小さな裂傷となり、刻まれる。何をして、という宙の言葉の前に、リコリスは次の説明を始めた。また顔をなぞりながら、行為が狂気的に見えてくる中で、
 『でもね、奇跡的に残っていた人の部分からDNAが採取できたの。トゥリアビータはそのDNAを利用することを決めた。それが、クローン技術』
 当時、すでにクローン技術によるミシュリンクの大量生産計画を考案していたトゥリアビータは、実験という名目で優れたアイドルマスターである天川マツリを復活させようとした。もちろんただの蘇生ではない。ミシュリンク・プランによって得られた知識を活用して、ミシュリンクとして生まれ変わった天川マツリを造り出そうとしたのだ。
 だが、結果はリコリスが証明している。バスタルトたる彼女が。
 『ミシュリンクは生まれなかった。生まれてきたのは、所詮不完全なハイブリット』
 それこそが、
 『――この私。天川マツリの姿を真似たクローンよ』
 言い、リコリスは目を隠すバイザーに手を当てた。忌々しそうに縁をなぞり、表情を歪めながらそれを取り外すと、そこには天川マツリの顔があった。髪と目の色は違えど、その顔は間違いなくマツリと同じものだ。
 四年前、星空の夜に言葉を交し合った最後の夜、宙の記憶に焼きついた姉。何一つ変わりのない顔がある。苦しい、と思う。左胸に手を当てた宙の域は荒い。心臓の鼓動は宙の思いの強さをそのまま表すように何度も跳ね上がった。信じ難い。モニターの奥で薄笑を浮かべている女性が、本当に姉ではなく、そのクローンだなんて。
 驚きの表情が濃くなる宙に、リコリスは、しかし、
 『坊やは今、どんな表情をしているのか、私には分からないわ』
 だって、
 『私にはね、視力がほとんどないの。このバイザーで補強しているけれど、素のままでは盲目と変わらない。私の見ている世界を、坊やは知らないでしょうね。見えないというのは、暗い、ではないの。何もかもが、それが何なのか理解できないほどぼやけて見えて、とても、白いのよ。世界そのものが光っているように』
 リコリスは触れる。自分の髪に、顔に、身体に。人差し指で顔をなぞり、そのまま下に引いていき、胸元を経て、腹部へ。語りが彼女の身体にほのかな熱を与え、ん、という熱い吐息を漏らして、最後は豊かな左の胸を鷲摑みにする。胸の奥、心臓を抉るようにして、五指が胸に食い込むほど強く掴みあげる。
 クローンであるため、リコリスの身体は遺伝子レベルで天川マツリのそれとほぼ同じものだ。それも不老の身体故に、四年前、死ぬ前の最後の姿のままで。髪の色と目の色だけ違ったが、所詮これらは不完全な創造の代償として、遺伝子の欠損のために起きた劣化現象に過ぎない。
 身体は他人の真似、それも完璧には至れない劣ったコピー。反旗を翻すのを恐れ、天川マツリとしての記憶は与えず、基礎の知識だけを脳に組み込んだトゥリアビータは、結局天川マツリになれなかったリコリスに失敗作の烙印を押した。
 人にもIDOLにもなれない出来損ない、バスタルトとして。
 それが三年前の出来事だ。
 この世に生れ落ちても、幸福とは呼べない人生が待っているだけだった。
 失敗作と扱われた最初の一年は、研究員達に蔑まれながらも、トゥリアビータの戦力として戦うための知識と技術を覚えさせられるだけの日々。
 人としては扱われなかった。“教育”を受ける傍ら、バスタルトとして、ミシュリンク完成のために様々な実験を強行されたのだ。
 薬物投与を始めとして、どれだけ肉体が負荷に耐えられるのかを調べるために、地獄のような高重力下での実験すら行われ、血を流し、苦痛に叫んでも、誰も助けてくれないのは当たり前だった。呻き、苦しむリコリスを見て、研究員達はただ無表情に実験の結果を記録していくだけ。それが、生まれてきたリコリスの常識だった。
 彼女の人生に、人としての尊厳など含まれていない。実験動物。そういう扱われ方をしてきたのなら、彼女は自分を何だと思ったのだろうか。人間でもない。IDOLでもない。誰でもない。いてもいけない。
 そう、確かにリコリスの存在はno body(存在しないもの)やan birth(生まれてはいけないもの)と言えるだろう。
 『それでも、ヌービアムのマスターと認められてからは、そこそこマシになったわ。実験の回数は少なくなり、一般の構成員と同じ生活を送れるようになった。――いつの間にか、私はリコリスと呼ばれるようになっていた』
 実験動物であった彼女が、それでも人並みの何かが欲しくて自分でつけた名前が広がったのだった。リコリス。花の名前で、花言葉は“悲しい思い出”。案外気に入っているわ、発音が綺麗でしょう? 彼女は笑う。
 が、今でも苦しみは絶えない。定期的な実験は続けられているし、活性化剤を投与しなければ生きていくことすらできない。それに、
 『私のこの身体は、天川マツリと同じように女性のもの。でもね、私はね?』
 失敗作。
 『……子供を産める機能がないの。子宮が駄目なんですって。どんなにがんばっても、私は子供を産むことができない。バスタルトとして生まれ、人並みの尊厳も自由もないのに、世界はまだ追い討ちをかける。女性として生きることすら叶わない……!』
 だから、リコリスはバスタルトとして、本当の意味で戦うことしかできないのだ。人として生きること叶わず、それでも人として生きようと努力して。今では小さな幸せを得る程度にはその地位を高くしたものの、それもいつ壊されるか分からない。
 トゥリアビータのバスタルトであるということは、そういうことだ。
 『だから私は、自分の存在理由に命以上の価値を感じるの。天川マツリのクローンではなく、バスタルトとしてでもなく。リコリスという、誰でもない“私”としての存在理由。でも存在理由を感じるためには、生きなくてはいけないわよね? だから生きるの。私は私でいたいから。それでも坊やが、私を天川マツリであると言い続けるのならば……』
 吐き出した苦しみに乗せて糾弾されるのは、こちらの是非を問うものだ。これだけ私の存在を曝け出しても、それでもまだ私を否定できるのか、と。天川マツリという、元になったとはいえ、他人の存在を私に押し付けることができるのか、と。
 無論、できるはずもない。
 相手の主張を木っ端微塵にするのは簡単だ。認めなければいい。相手の目の前で差し出されたレポートをびりびりに破いてやれば済む話。
 宙にはそれができない。リコリスの語った一言一言にある重みが、良心に強く打ち付けられているから。
 でも認めてしまったら、天川宙の気持ちはどこへいく。
 どこへ消えていく。
 結局、宙は何も取り戻すことはできない。今までのように、失った怒りを敵に叩きつけることしかできない。虚しいまでに。こんなの酷過ぎる。行き場のない感情。だからと言って何も変わりはしない。あるのは現実だ。失ったものは二度と返ってこないという。それでも言わずにはいられなかった。
 未熟だからだろうか。わがままを言えば、誰かが叶えてくれると子供のような意識がまだ残っているのだろうか。違う。想いの源泉は、ただただひたすら、願い、だ。
 その願いも今となっては――。
 知らず内に宙はライフルを下ろしていた。向けていたところで、指先が震えてとても引き金を引ける調子ではなかったが。機体が少しずつ後方へ流れていく。いつの間にか、通信用コネクターは回収され、リコリスの顔は消えていた。
 そんな時、だ。
 呆然とした心の隙に付け込む声が響いたのは。
 『坊や、私と一緒にトゥリアビータにいらっしゃい』
 どんな思惑か知れない誘いに、宙は思わず息を呑んだ。
 「トゥリアビータは俺から姉さんを奪った張本人だぞ!」
 『私は以前言ったはずよ、坊やはモンデンキントに騙されていると。最初から私達が戦う理由なんてどこにもなかったの。そう、“同じ側”として』
 「同じ、側……?」
 疑問。思考が限界稼動し続ける中で投じられた新たな爆発物は、頭部に熱を持たせるには十分過ぎる代物だ。もう何を考えることもできそうにない。
 滲み出る汗を頬で感じた宙は、ふと、計器が妙な反応を示していることに意識を持っていかれた。ちらりと目線を向けた先で、空間の重力場がおかしな値になりつつある。新手のIDOLか。否、それはそんな生易しい代物では、なかった。
 次の瞬間、月見島の方角で空間が割れるのを宙は視認した。
 比喩ではない。まるでテレビに映し出されていた風景が、画面を殴られてひびが入ったかのように、割れている。その奥は依然として知れない空間が広がっているように見える。
 そこから現れた白銀の人型には見覚えがある。
 「アイオーンか!?」
 アイスランドで死闘を繰り広げた謎の敵。あまりにも強力な力を有する存在。
 「このタイミングで現れるなんて、間の悪い奴だ……!」
 『いいえ、元よりアイオーンが現れるのは承知の上よ』
 リコリスの言葉に、わずかに訝しげな表情を取った宙は、すぐにその真意に辿りつく。アイスランドの時もそう、アイオーンはIDOLに引き寄せられてきたのではという説が有力となっている。今回もそういうことなのだろう。
 「まさか、今回ヌービアムを強襲したのは」
 『そうよ。ヌービアムの奪還だけが目的ではない。ここにIDOLを集め、アイオーンを誘き寄せるため。坊や達には感謝しているわ。……ほら、またお仲間がやって来るようだしね』
 「ん……この反応、インベルか」
 リコリスに次ぐ形で宙も接近する反応に気がついた。インベル。遅れて宙を追ってきたのだろう。なるほど、確かにこれだけIDOLが集結すれば、猫の目の前に魚をぶら下げているも同然だ。
 なら、トゥリアビータはアイオーンを誘き出して何をするつもりなのか。
 『アイオーンの捕獲』
 端的に告げられた目的。物好きもいいところだなと苦笑いを浮かべたのもわずか、宙はサイーデが動き出すのを見た。アイオーンを追う構えだ。そもそもあの方向は、
 「っ! アイオーンの標的はヌービアムか!」
 『どうする? これ以上、私は戦うつもりもないけれど。仲間を見捨ててもう一ラウンドでも?』
 先程から苦い表情が解けないな。宙は自嘲気味に呟き、操縦桿を握り直した。気持ちの整理はできていない。リコリスが姉のクローンであるという事実を受け止めるには、まだ時間がかかるだろう。
 「……くそっ!」
 仲間は見捨てられない。奪われたものは返らないが、与えてくれた人達を見殺しにはできない。宙の答えに、リコリスはくと笑いを漏らした。
 『いいわね、ならついて来なさい!』
 「言われなくても……!」
 今は心の苦痛を忘れるんだ、天川宙。自分に言い聞かせ、宙はフットペダルを踏みしめた。ヴェルトールは宙の意思に従って機体を加速させる。
 だが、この時宙は気づいていなかった。
 ヴェルトールが、操作を入力する前に宙の意思を汲み取り、動き出していたことに。
 それが何を意味しているのか、宙はまったく気づいていなかった。ヴェルトールだけが、事の真意を知っているということに。
 何も気づかぬまま、宙はただがむしゃらに生き足掻こうとしていた。



コメント

No title

初めまして。
『一枚絵描いてみm@ster』経由でこちらにお邪魔し、『Xenoglossia 宙とはてしない物語』最初から、この最新話まで拝読させていただきました。

面白いですね。
ゲーム版キャラが違和感なく、Xenoglossia設定に溶け込んでいます。
私はアニメも楽しんで見ていたので、この融合は楽しかったです。
それ以前にSFモノ、巨大メカものが大好物であったのですがw

大した感想も書けませんが、続きを楽しみに待たせていただきますね。
それでは、失礼します。

No title

 感想ありがとうございます! 面白いの一言が私の原動力でございます! ロボット物が大好き過ぎて暴走した結果の作品ではありますが、必ず完結させますので、これからもどうか読んでください!

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