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 第十七話 relations(後編)


 歌は、如月千早の生涯とは切り離せないものであり、生き甲斐であり、命だ。
 歌がなかったら、たぶん自分はここにいないし、人並みの感情を取り戻して、笑ってもいなかっただろう。如月千早という人間を構成する重要な欠片である歌。
 そして歌は絆だ。歌が繋げた絆は数多ある。それは旋律に乗せて無数に交差する流れ星のように世界を駆け、一つ一つの星を結んで星座となる。絆とは、そういうもの。千早を世界に繋ぎ止める命綱こそ歌なのだ。
 大事な大事な私の絆。皆との絆。そして、今は亡き弟との絆。辛い時、悲しい時、歌えば勇気が出た。楽しい時、嬉しい時、自然と歌を口ずさむ。
 だから歌い続ける。よく響く声で、彼が褒めてくれた自慢の歌声で。どこまでも遠くまで聞こえるように、自分の歌を。天国の果てまでも届くように。
 けれども、歌えど歌えど悲しみは増す一方だった。気分は晴れず、薄暗い灰色の雨空の下を歩いているような心境。抜け出せない、と。千早は心のどこかで呟いた。
 765プロ本社ビルの屋上。新宿の中でも一際大きいビルの頂上ともなれば、見晴らす景色も悪くない。新宿、ひいては東京という街並みが視界一杯に飛び込み、上空には暗くなった冬空が広がっている。
 吹く風は冷たく、フェンスに寄りかかった千早は突き刺すような寒さを肌で感じた。もう秋から冬へ様相を変えた空気を大きく吸い込んで、胸に溜まったどうしようもない気持ちを一緒に吐き出し。自分は一体何をしているのだろうか、と自問して。
 歌わなくては。
 半ば脅迫的な観念に突き動かされて、千早は歌うことを決して止めない。
 ――泣くことなら容易いけれど、悲しみには流されない。
 「嘘吐け。おまえ、泣いてるし、流されてるくせに」
 背後で弾けた声に驚いて振り返ると、屋上の入り口に天川宙が立っていた。反射的に口を閉じて、夜に流れる旋律は寒空の下に溶ける。虚を突かれたような表情の千早に、邪魔する、と言って屋上に足を踏み入れる宙。
 「宙、どうしてここに?」
 「秋月に頼まれた」
 正直に答える。機密情報の入手と引き換えに約束したのは、千早と話をしてほしいという単純なものだった。もっとも、事はそう簡単ではないと宙は理解していた。
 笑みもなく、無表情に近づいて来る宙に千早は身を引いた。
 最近の宙は様子がおかしい。昔に戻ったようで。誰も彼をも疑っているようで。それでいて、時折浮かべる搾り出すような薄笑いが不気味で、今の宙は苦手だ。それに、アイスランドで首を絞められたことを思うと少し怖いのも事実だ。
 そのことを宙も理解しているのか、少し遠い位置で足を止めた。向かい合う宙と千早。星の光もコンペイトウスノーもなく、ビル群の明滅するネオンがわずかに二人を照らし出して、逆しまの星空に浮いているような心持ちになる。
 おまえ、泣いてる。もう一度同じ言葉を投げかけられて、千早は目元を拭った。目元に残る湿っぽさがその証拠か。しかし、自分が何を悲しんでいるかよく分からない。確かに煩わしく思っていた色々なことに方がついた。家庭の事情、と一括りにできる事柄だ。正直、清々した思いの方が強いし、こうなって正解だったのだと――。
 「両親、離婚したんだってな」
 「……っ!」
 何も言えなかった、声が出なかった。
 自分以外の誰かに、明確にそれを指摘されることがこんなに苦しいとは思いもしなかった。渦巻いていたものが一瞬で吹き飛んで、両親の離婚、という事実だけがはっきり認識されるのを感じる。家族という絆が音をたてて壊れる切なさ、哀しさ。知りたくなかった気持ちが、今になってようやく現実味を帯びて。
 ふふっ、と。千早は吐息するような微笑を漏らした。
 「別にどうってわけでもないのだけどね。こうなるって、決まっていたようなものだし」
 「ずいぶん淡白な物言いだな。どういう意味?」
 「宙に話したことなかったわね。春香達には、一度だけ話したことがあるのだけど」
 古いアルバムを開くように思い出を辿る。
 如月家は四人家族だった。父と母と千早と、弟が一人。どこにでもあるような家庭で、休日は家族で遊びにも行ったし、夜はテーブルを囲んで団欒もした。歳の近い弟は千早によく懐いていて、本当に平凡な幸せの形だったと思う。少なくとも、今のような状態になるなんて想像もできない位には。
 弟は千早の歌う歌が大好きで、転んだりして泣いた弟を慰めるためによく歌ったものだ。まだ音程も強弱も考えない稚拙な歌。そんな歌でも、千早は喜んで歌って見せた。弟の笑顔が、たぶん歌い手を目指そうと思った最初のきっかけだった。些細な理由なのだ。些細でも、とても大きい理由。
 「けれど、全て壊れてしまった。当たり前だと思っていた日常も、全て」
 事故だった。母と散歩に行った弟は――亡くなった。
 事故死の言葉だけで片付けられるものではない。家族が、死んだのだ。大きな衝撃だった。味わったことのない感覚だった。できれば一生味わいたくない痛みを、千早は幼くして経験してしまったのだ。世界が変わる、というのはああいうことなのだろう。
 あの時、もし“彼”との出会いがなければ、如月千早は潰れていたかもしれない。
 「両親がいがみ合いを始めたのは、その頃から。大事なお葬式だって言うのにあの人達は……! 父は母を責めた。おまえがしっかり見ていないから。おまえがしっかり面倒を見ていれば。泣いて反論する母と、怒鳴る父。あの子の前で、両親は喧嘩しかしなかった! 死んだあの子が無念でしょうがなかった!」
 「如月……」
 「それから今日まで、私の家庭はずっとそんな調子。だから、いつかこうなるんだって目に見えていたわ。驚きもなければ悲しくもない。必然として起こった出来事だもの。今更なんとも思わない。悲しくなんか、ないもの」
 告げて、千早は吐息。当たり前のことを、ただ当たり前と受け止める。千早がしようとしているのはそれだけのことだ。
 しかし、
 「おまえはそれで満足か」
 「ええ、もちろんよ」
 「取り戻したいとは思わないのか」
 「無駄よ」
 「――馬鹿野郎っ! それは捨てて良いものじゃないだろうが!!」
 視線の先、怖いくらい真剣な宙の表情がある。曇った瞳から漏れ出す彼本来の輝きが獰猛に発せられ、千早にぶつけられ、弾けて。
 宙は千早に詰め寄った。一歩、二歩、床を砕くような迫力で靴を踏み鳴らしながら近寄る宙の瞳に滲むのは、言い知れない怒りだ。フェンスに背を預ける千早の顔の横に、ばんっ! と手の平を叩きつけ、視界に宙の荒々しい炎を宿した瞳が大きく映し出された。納得できない、と。声ならぬ声が微かに零れた。
 「おまえはそれでいいのかよ!」
 千早は恐怖を顔に滲ませたが、心の底で宙に対する泥のようなものが剥がれ落ちて、不思議と安心した。今の彼は本音だ。心で生まれたものを直接吐き出しているのだ。
 搾り出すような薄笑いと無表情よりもこっちの方が宙らしい。嘘偽りのない天川宙の姿が千早の存在を安定させる。
 同時に思考した。宙の感情を滾らせている理由はなんだ?
 五秒と考え込まぬ内に、千早には宙の生まれてこの方の背景が思い出された。
 宙は親に捨てられた。彼の人生はまず喪失することから始まり、そして手に入れた大事な家族との絆も否応なく奪われた。
 だからだろう。天川宙という人間は誰よりも絆=人との関係に敏感だ。ましてや一度裏切られた経験がある分、余計に。好きという絆も、憎いという絆も、宙にとって全てが掛け替えのないたった一つの大事な絆なのである。
 それに引き換え、千早は両親との絆に意味を見出していない。それは関係を捨てるということだから、宙はそれが許せないのだろう。
 「家族なんて簡単に手に入れられるものじゃない。ましてや、捨てていいものでもない! 手放しちゃダメなもんなんだよ、それは!」
 「私は今に満足しているわ。これ以上は欲しくない」
 「取り戻したいとは思わないのか」
 「私にとっては、今がAのカードなのよ」
 例えば、トランプを一枚ずつ配られたとして、千早の手元にあるのはAのカードだとする。Aの絵柄に反射するようにして映る春香達。これを捨ててもっと良いカードを引こうとする勇気が千早にはない。そして端からそのつもりもない。
 「そんなの逃げてるだけじゃないか!」
 「それを言うならあなただって、高木社長や音無さん達を恨んでいたじゃない!」
 「だからだよ。あとになって必ず後悔する。胸に空いた穴は簡単には塞がらないのを、俺は嫌というほど思い知ってる。一人になるのは怖いことだって、肌で感じてる。如月だって本当はAより良いカードが欲しいんじゃないのかよ!」
 「私には765プロという家族がいる、私は一人にはならない! あんな両親との関係よりも、私には春香達との絆の方こそ大事だもの。ここには皆がいて……私にとっての歌う理由がある」
 そう、歌う理由がある。自分の夢と、そして弟との約束。ここにはそれを叶えるための大事なものがたくさんある。千早には765プロとモンデンキントという絆さえあれば、何もいらないのだ。
 「死んだ弟と約束したの。またお歌聞かせてね、って。あの子は死んでしまったけれど、それでも歌い続けていれば天国まで届くんだって信じている。あの子に届くんだって」
 それは“彼”が教えてくれたことでもある。
 会えなくなっても、君が歌い続けていればいつか必ず届く。その言葉があるからこそ、如月千早は今日まで歌い続けて来れた。遠い所にいる弟に自分の歌声が届くように。それが如月千早の夢。そうよ、夢を追いかけ続けるためには、こんなことで悲しんで、歩みを止めるわけにはいかないのよ、如月千早。
 「宙は人との繋がりを大事に思っている。だから、今の私を許せないのも理解できるの。でも私は、残された私の絆を大切にして生きていく。過去に取り残されたものまで手に入れようとするのはただのエゴよ。私は、弟に私の歌が届くように歌い続ける。そして、あの子の夢も、これからずっと叶え続ける」
 「弟の、夢?」
 「私がIDOLのマスターになろうとしたのは、弟がIDOLに憧れていたから。私が夢を継いだの。いつかIDOLに乗ってドロップからお姉ちゃん達を守るんだ。そう言って目を輝かせていたあの子の夢。ほら、私には765プロとモンデンキントだけがあればいいの。ここだけが、私にとっての楽園なのだから」
 今に縋って生きていく。それが千早の答えである。
 千早は宙の瞳を見据えた。ほんの少し離れた場所に、宙の顔がある。微かに顔を動かすだけで唇が触れ合いそうな至近距離。互いの気持ちを絡め合い、互いを理解できる距離。千早は頬が染まるのをなんとなく感じた。例え宙の瞳が冷たくも、彼と視線を交えているのだと思うと、やはり胸が締め付けられる思いだ。
 私達はよく似ている。千早は訴えた。
 大事なものを失って、心を閉ざして生きてきた。そしてアイドルマスター課の仲間達が地獄の底から手を差し伸べてくれた。
 荒んだ家庭と亡くなった弟の影響で他人との触れ合いを恐れていた千早は、春香達の心触れて熱を取り戻した。
 最愛の姉を失って高木や小鳥を憎み続けていた宙は、皆の気持ちに触れることで高木や小鳥も苦しんでいたことを知った。
 二人はよく似ている。ひどく繊細で、壊れやすく、誰かに救われたという経験を持っているが故に。まるで合わせ鏡のように、よく似ている。
 唯一、現在に拘るか過去に拘るかの違いを除いて。
 ふと、宙はフェンスから身体を起こして千早から離れた。俯いていて、表情は伺えない。けれども髪の隙間から放たれる黒い情念染みた何かが千早に纏わりついた。思わず、息を呑む。
 「冷たいんだ」
 微かに動いた唇が言葉を紡いだ。
 「この世界は冷たいんだよ」
 熱を感じないんだ。宙は寒さに凍えるかのように、両腕で身体を抱く。震えている。どうしようもなく身体が震えてしまう。
 理屈はいい。熱が必要なのだ。暗くて冷たい世界と拮抗するだけの熱。千早はそれを失っているから、自分の望むことへ向かって行けない。でも自分は違うのだと宙は暗示のように呟いて、千早を両の目で捉えた。
 まるで黒い炎を宿しているかのよう。
 「俺は認めない。失くしても、取り戻してみせる。諦めない」
 「何を言って――」
 いるの、と。言えず、言い澱んだ。この雰囲気。今の宙は嫌いな宙だった。暗い情念を仮面で隠した無表情。
「おまえは元通りにならなかった時が怖いだけだ」
 人は過去を捨て去れない。人は過去の蓄積で生きているのだから。俺とおまえが似ているだって? ああ、そうかもしれない。けど、今はもう違う。おまえは弱い。
 「この手の中にあるのがAだろうがなんだろうが、俺はジョーカーを取りに行くんだ」
 俺は強くなる。宙は言う。何一つ欠けていない現実を、笑顔に溢れていたあの頃を、本当は訪れるはずだった今を取り返す。じっと千早を見つめた宙は、そう告げて背を向けた。
 知らず内に、千早はその背中に手を伸ばしていた。でも、届かなくて。言葉だけが夜気にそよいで先走る。
 「宙は、変わったわね」
 「人は変わるよ。強くなるために」
 そんな意味じゃない。立ち去る宙の背に、千早は内心で呟いた。あなたは変わってしまった。孤独な雰囲気を漂わせる宙の背中にひどい切なさを感じる。胸に手を当てた千早は、宙を追いかけるべきか一瞬悩んで、しかしその足が動くことはなかった。どうやら自分は思った以上にショックを受けているらしい。だって、千早の今の思いは――。
 「本当に、変わってしまった。今を生きろというのは、あなたが教えてくれた答えなのに」
 弟の葬式の時、言い争う両親が嫌になって、千早は逃げ出した。泣いて、ひたすら泣いて辿り着いたのはとある高台。夕陽が神々しいほど綺麗な黄昏時の話である。
 そこで千早は“彼”と出会った。

                   ●

 トゥリアビータ基地内にある医療室。その部屋の薬臭さと潔癖なほどの白さがリコリスは嫌いだった。
 薬物の臭いは自然からかけ離れた故の不快感を覚えるし、眩過ぎる白は目に毒だ。ここにいると、生きている実感が極度に薄れてしまう。だからこそ、治療用のベッドに横たわっている間、リコリスは終止不機嫌な表情であった。
 ベッドで仰向けになったリコリスの身体には複数の電極が貼り付けられており、横の機械が身体から心拍などの情報を読み取って表示している。
 そろそろ寝ているのが苦痛に思えてくると、しばらくして、検査結果を記し並べているパネル片手にカラスが現われた。相も変わらず冷たい微笑の男はリコリスの隣に立つと、もういいですよ、と告げた。
 「検査結果は問題ないようですね。アイスランドでの身体の異常は、ヌービアムのコックピットから出たことによる気温の急激な変化に、あなたの身体が耐えられなかったのでしょう。迂闊ですよ、リコリス」
 「もっと心配そうな表情でもしてくれたらいいのにね。嫌味にしか聞こえないわ」
 「もちろん、嫌味ですから」
 カラスは表情を崩さず笑みのまま言った。その瞳は笑っておらず、むしろ失敗を咎める鋭さがある。電極を外しながら視線を受け流すリコリスは、その理由がヌービアムについてのことだと適当に決め付けた。いや、それ以外に文句なんてないだろう。遠回しな言い方をしなくてもそれくらいは察しがつく。
 一週間前のアイスランドにおいて、リコリスはヌービアムを置き去りにした。
 モンデンキントに回収されるのはできたことだったが、案の定ヌービアムは回収され、現在の調査によると、すでにパーツの生産が始まっているとのことだ。
 これでモンデンキントにはオリジナルコアが四つ、ヴェルトールのブラックボックス・コアを含めれば五つ揃ったことになる。人工IDOLによる戦力増強の目安が立っているとはいえ、これはトゥリアビータにとって大きな痛手であった。
 ヒエムスの回収にこそ成功したものの、人型機械IDOLとして完成させるにはまだ時間がかかる。コアの改造、フレームと装甲の製造。新型人工IDOL生産計画の派生によって設計などの手間はさほどかからないが、それでも戦力として配備するのはもう少し先になる予定だった。
 そもそも、本来ヒエムスを手に入れたことによって二つのオリジナルコアを有するはずだったものが、ヌービアムを失ったことで収穫はゼロになったと言える。いや、どちらかと言えばマイナスだ。
 そんなものだから、カラスはリコリスに文句があるのだろう。はっきり言えばいいのに、と思う反面、自分の犯した問題の大きさを理解しているのでそう口に出せないでいるのであるが。己の身体の件も、自分の不注意が招いた結果なのだから。
 「とりあえず、もう自由に動いて問題ないでしょう。戦闘行為も支障ないとのことです。しかし、わずかに代謝が下降気味との結果も出ています。念のため活性化剤も投与しておきましょうか」
 「……所詮私達はバスタルトだものね。出来損ないの、偽者」
 「おや、あなたにしては弱気な物言いですね」
 意外だ、という風に肩を竦めて、カラスはトリガータイプの注射器を取り出す。
 透明感のある琥珀色の液体。リコリスは、下ろした髪を手で持ち上げると、綺麗な肌をしたうなじをカラスに向けた。注射器が当てられ活性化剤が投与されるのは一瞬。針を刺すわずかな痛みが首筋を奔り、それでようやくリコリスは検査という名の苦痛から開放された。
 検査とは言っても、通常の人間のそれとは異なるものだ。バスタルトたるリコリスの身体は、人間と構造は同じでも体組織的に大きな違いを持つ。
 トゥリアビータでさえ確固とした情報がないバスタルトは、それ故様々な検証が必要なのである。今回の検査だって必要以上に長引いたのは、そういうことが理由だったりするのだろう。
 全てはミシュリンク完成のため。出来損ないであるバスタルトが完全な一個体の存在として認められるためには、ミシュリンクとなる以外方法はない。そうでなければ、結局リコリスは己の存在価値を持たないことになってしまう。
 ……だから、私は戦うのよ。
 思い、そこでふと考えたのは天川宙のことだ。彼はきっと己について何も理解していない。いや、理解することを妨げられている様子もあった。可哀想に、と胸に堪ったわだかまりを溜息として吐き出したリコリスは、
 「カラス、天川宙についての報告だけど……」
 「そういえば接触したのでしたね。何か聞き出せたのですか?」
 「ええ、やはり彼はIDOLと会話することができるみたい。本人はその意味に気づいていないけれど、まず間違いなくあの子は“真性異言能力者”よ。――ねぇ、カラス。本当に天川宙はカイエンの計画の……」
 「諜報部がモンデンキント本部の機密データバンクから盗み出した極秘資料と、天川宙の生い立ち、経歴、その元を調べたものを組み合わせると、必然とそのような結果になります。疑いようはないでしょう」
 アイスランドへ出撃する前に聞かされた話はこれで現実味を帯びたことになる。どんな運命の悪戯だろか。リコリスは言い知れぬ落胆に拳を握り締め、それは幻だと首を振った。結局は宙も自分も世界という強大な有象無象の手の平で踊らされる存在だということだ。宙はそれにすら気づかず、ただ天川マツリの幻影を追うだろう。
 本当に哀れな子。
 そしてもう一つ、リコリスには知っておかなければならない事柄があった。
 「カラス、私がアイスランドで遭遇したあれはなんなの? 報告ではアイオーンと言っていたわね。私達の想像を超えた超然的な力を扱う、得体の知れないIDOLもどき。あなた、詳しいことを知っているのでしょう?」
 少なくともヌービアムとヴェルトールの二機を相手にして、あれほどまで傍若無人な戦闘力を発揮したのだ。アイオーンが尋常ならざる存在であることは嫌でも分かる。
 IDOLに似たIDOLではないもの。
 身を持って“力”を体験したリコリスとしては、その正体が非常に気になるところである。どうせこの男のことだ、ある程度の情報は掴んでいるだろう。
 案の定、カラスはにやりと口元を歪めて見せた。癇に障る嫌な笑い方だ、と内心で吐露し、リコリスはカラスが二の句を紡ぐのを待つ。
 「そうですね、話しておきましょうか。あなたにはアイオーンの捕獲という大役を担っていただくのですから」
 「捕獲!? あれを!?」
 馬鹿なこと言わないで、と言い放ったリコリスは眼前の男を疑った。彼の視線に嘘偽りの色はなく、馬鹿な、と再び言葉を落とした。あんな出鱈目な奴を相手に、ましてや捕らえるだなんて。想像しただけで身体の芯に冷たいものが奔った。
 「全てはミシュリンクのためですよ。もしかしたら、あれを解析することで五つのコアを集めるより早く“アウリン”への道が開けるかもしれないのです。ほら、そう聞けば無茶をするにも十分な理由でしょう?」
 カラスは邪悪な笑みを深くして語る。アイオーン=IDOLとも一線を画す謎の存在。トゥリアビータが欲するミシュリンク、その完成のために必要とされるアウリン。この二つの存在に、果たして如何様な関係があるというのだろうか。
 世界が遠くなるような錯覚と共に情報が耳から頭に流れてくる。
 リコリスはその説明に愕然とした。カラスの情報が正しければ、アイオーンの異常性も納得がいく。IDOLと同等以上の慣性制御を操れることも含めた全ての疑問点が解消されるのだ。そうか、アイオーンの正体は――。
 「理解していただけましたか?」
 「……カラス、あなたはその話をどこから手に入れたの? その話が本当なら、例の猫どもしか真相を知らないはずよね」
 こんな復興歴という時代の根底を揺るがしかねない事実を、何故この男は知っている?
 「ふふ、ちょっとした過去の置き土産ということです」
 それ以上は話す気がないということか。まぁ、いいわ。そう言って、リコリスも深く詮索するのを止めた。
 トゥリアビータの構成員は、モンデンキントに恨みを持った人間がほとんどを占める。そうでなければ、絶大な科学力を誇るとはいえ、世界に喧嘩を売る大それたテロ組織に参加するはずがない。大方カラスもその例に漏れないというわけだ。若くしてトゥリアビータを統括する存在ともなれば、並々ならぬ過去があったとしても不思議ではない。
 「把握したわ。そういうことなら、私も全力を尽くす。ヌービアムの件もあるからね、失態は取り返す。……もっとも失態以前に、人材不足という問題がなければ今頃私の命はないでしょうけど」
 「結構。自分の立場を弁えているのなら働いていただきますよ。ヌービアムの代わりは“サイーデ”を使ってください」
 「ヴェルトールの予備フレームで造った急造品か。武装は?」
 「対IDOL仕様の物をいくつか。詳しい情報は後ほどお渡ししますよ」
 「そう。それじゃあ、私は出撃まで少し仮眠をとるわ。――次の戦いが私の最後にならないように祈りながらね」
 皮肉ったのは自分に対してだ。なにせヌービアムより劣る人工IDOLでアイオーンと対峙しなければならないのだから、リコリスとて不安にもなる。
 医療室から出たリコリスは自室へ戻るために足を動かした。だが、
 「あの、リコリス?」
 「……リファ、どうしたの?」
 医療室の入り口に立っていたリファに呼び止められ、リコリスは振り返った。床に届きそうなほど長い金髪を下ろしているのは、おそらくもう寝るところだったからだろう。可愛らしいパステル調のパジャマは実に子供らしく、上目遣いで見上げてくる彼女に、リコリスは思わず笑みを零した。
 ただ、彼女にはいつものような元気がなく、申し訳なさそうな表情なのが気にかかる。
 どうしたの? と再度問うと、リファは見上げる視線を下へ。俯いて影になった彼女の口が、ごめんなさいと言葉を紡いだ。
 「リファがリコリスを無理やり連れて帰ったから、ヌービアム取られちゃって……。カラスにすごく怒られたんでしょ? だから、その、ごめんなさい……」
 消え入りそうな声で謝るリファ。リコリスは考えもしなかったが、この子は自分のせいでリコリスが怒られたと思っていたのだ。
 それは違うだろう。確かにリファはリコリスの救出を優先したが、けれどもそのおかげでリコリスは九死に一生を得たし、そもそもそんな状況を招いたことにリファは一切責任などないのだから。
 不意にリコリスは疑問を抱く。どうしてリファは自分を助けに来たのだろうか、と。
 あの時、救難信号を出していたとはいえ、戦況的に不利だった状態で戦力の要であるリファとヒクリオンが救出に向かうのは愚策であろう。エピメテウスの一体でも送ってくれれば、それでよかったものを。
 それについて何故と質問すると、回答はひどく単純明快なものだった。
 「だって、リコリスが心配だったから……」
 心配だったから。リコリスは胸を締め付けられるような錯覚を覚えた。驚きと言ってもいい。
 リコリスに家族はいない。そんなものはなく、だからこそ天川宙のことを自分と似て非なる人物だと決定付けていた。姉や養父の愛を知り育った宙と、ただ気づいた時にはヌービアムのマスターとしてトゥリアビータに参加していたリコリス。それこそが決定的な違いだと思い込んでいた。
 だがしかし、リファの言葉は、行動は。損得勘定を感じさせないその在り方は家族のそれとしか思えない。否、家族がどんなものかさえ分からないくせに、ただ知識だけでそのようだと感じているに過ぎない。思い込みだと思っても、けれどリファの存在にリコリスは暖かさを抱いた。――懐かしいような、泡のような儚いものが込み上げる。
 「ねぇ、リファ? 今から私も寝るのだけど……一緒に寝る?」
 咄嗟にそんなことを言った自分を意外にも思うが、とても心地の良いものだと思う。
 例え天川マツリという存在に惑わされたとしても。リコリスとして自分を慕ってくれる人がいることがひたすらに嬉しいのだと、リコリスは心情を分析した。悪い癖だ、人間として生きるのにわざわざ心情を考える必要などないのに。ただ心の赴くがままに。
 リファは顔を上げると、大きな瞳を輝かせて、
 「うん! リファ、リコリスと一緒に寝る!」
 互いの手を握り、笑みを携えて歩む。
 この時、自分の存在だけを考え続けてきたリコリスの胸に。
 ふと、誰かと一緒に生きていくという意識が、ひょいと首をもたげた。



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o-van P

Author:o-van P
 しがない物書き。アイマスとロボットをこよなく愛する人間。どんな時でも仲間を求める習性がある。

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