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 第十六話 relations(前編)


 「――ついに現れたか」
 「“アイオーン”。月よりの尖兵か。アウリンは思った以上に執念深いと見える。先人達の失敗で我々がこうも苦労を強いられるとは、ままならぬものよ。トゥリアビータの件も片付いていないというのに」
 「そう言うな。元々モンデンキントを設立したのは奴らへの対策も兼ねてだ。規格外の敵とはいえ、抗えないわけではない。準備は進めている。大事な“籠”を壊されたのでは堪らないからな」
 「して、ヴェルトールの状況はどうなっている。報告によれば一時的な覚醒を引き起こしたと聞いているが?」
 「ええ、すでに兆候は鳴りを潜めているようですけどね。気分屋にも程がある」
 「あれのフレームは元々ロウ夫妻が考案した次世代型だったな。当時の技術力では完成に至らず、机上の空論で終わっていたものが完全な形で造られているのだとすれば、我々の予測を超える現象を引き起こす可能性もある。そんなものを駒として使えるかね」
 「心配は無用。コアがマスターに従っている内は従順な僕も当然です。そして彼の能力は例外なくIDOLに有効だ。お分かりでしょう」
 「そのマスターが問題なのだ」
 「左様。ロウが手塩に掛けた“試験体”とはいえ、所詮は失敗作。我々に矛先を向けない可能性がどこにある」
 「――どちらにせよ、今はアイオーンの存在が最優先事項だ。他のIDOLでは役不足。月の尖兵に対抗するために造られたその力、振るってもらわねば意味がない。玩具も与えてやったのだからな。人形風情、後でどうとでもなる」
 「そういうことです」
 「……ふんっ、青二才が」
 「正義は我々にある。このグランドロッジの猫に、な」

                    ●

 地下基地のとある一室。そこはアイドルマスター課責任者であるジョゼフ・真月の趣味でしつらえられた課長室である。
 どこぞの高級な茶室にしか見えない和一色の部屋は書院造風のあしらえで、どこからともなく水のせせらぎと、かこんっ、という獅子落としの音まで聞こえてくる。それに相反して、壁を丸く切り抜いた部分には近代的なモニターが収まっていた。
 与えられた部屋とはいえ、仮にも世界の安全を担うドロップ迎撃企業の課長として、仕事場に趣味趣向を投影し過ぎるのもどうなのかと疑問を抱いてしまうわけだが、集った当の本人達は気にした様子もないわけで。というより、基地を設計する段階で建築を許しているのだから言うのも無駄だ。
 部屋に集ったメンバーは三人。モンデンキントJPの総責任者であり765プロ社長でもある高木順一郎を始めとして、ジョゼフ、小鳥が名を連ねており、アイドルマスター課における重鎮が一同に介している。
 皆、畳の上に座布団を敷いて正座中。ちょこんと置かれた湯飲みからは湯気が立っており、小鳥のものには茶柱が立っていたりするのだが、そんなことはお構い無しに全員真剣な表情で話し合っていた。
 アイスランドでのあらましを伝え聞いた高木はまず一言。驚嘆を交えて深く吐き出した。
 「信じられんな」
 無理もありません。ジョゼフも表情を苦くして呟くように言う。
 「ヴェルトールの、IDOL四機分に相当するパワーの放出。それがアイスランドの沈没を防いだ決定的な要因であることは間違いありません」
 「それが事実ならば、我々はあの機体に関する認識を改めなければならないな」
 重々しく頷いた高木は手元の資料に視線を移した。
 ヴェルトールが引き起こした原因不明の出力上昇。既存値を遥かに越えたそれに付随して観測されたフレームの変形。通常のIDOLとは一線を画した能力の発現に、高木は戦慄にも似た感情を抱かざるを得なかった。例え、アイスランドを救ったのがその力だったとしても。畏怖を覚えずにはいられない。
 懸案事項が増えたな、と頭を悩ませる高木であった。
 「ともあれ、アイスランドの沈没を防げたのは君達のおかげだ。よくがんばってくれたね」
 「いえ、全てはマスター達が努力した結果です」
 「そうだな。……ところで、IDOLの状態はどうなっている?」
 アイスランドの沈没を防いだ際、合計五機のIDOL全てが致命的なダメージを負っていた。コアへの被害は少なかったものの、フレームは全交換する必要があり、特にヴェルトールはブラックボックスが絡んでいることもあって迂闊に修理できない状態だった。完全な状態を取り戻すにはあと数日はかかると予想されている。
 「鹵獲したヌービアムに関しては月見島でパーツの生産を急がせています。他の機体も修理が完了次第ドロップ迎撃のローテーションに戻れるでしょう」
 「やっぱり一番厄介なのはヴェルトールですね。本部の送りつけてきた“あれ”の件もありますし」
 そこで小鳥が、珍しく忌々しげな表情を見せて資料を捲った。同じくジョゼフが壁に埋め込まれたモニターを操作すると、格納庫で整備を受けるヴェルトールの姿が映し出される。しかし、その姿に以前の面影はほとんどない。
 頭部を除く全ての部位に設けられた新装備。重量など度外視で、詰め込めるだけ、過剰なまでに追加された装甲は、分厚い鎧を連想させるほど重厚だ。
 数日前本部から輸送されてきた“鎧”は、今や黒の機体と合致している。
 肉厚の装甲を纏った機体は本来の駆動部位を犯されつつも、極限まで強化された剛性と耐久性を手に入れた。それどころか脚部には追加の推進器が付与され、更には全身の装甲下に埋め込まれたバーニアが、機体の速度を底上げする。
 両肩にも同様の強化装甲が装備され、多重装甲バインダーの大型化が図られている。少し角度を変えると腕部が隠れてしまうほどの巨大な代物。
 胴体は特に顕著で、大幅な装甲増加によって本来露出しているコアもその下だ。機体中枢であるコアを保護する目的だが、おかげで機体は一回りも二回りも膨れ上がって、隣に並ぶインベルが心なしか小さくなったような錯覚すらさせる。
 増設されたバックパックには縦長のスタビライザーが一対。手に握られているのは、アルツァヒールを簡素化し使い易く設計し直した新型ライフル。
 鬼に金棒、とはよく言ったものである。まるで鷹の速さを得た亀だ。
 “コラプサー”と通称されるこれら強化ユニットは、モンデンキント本部が開発した対IDOL戦闘の切り札という話だった。試験的な代物ではあるが、鹵獲したエピメテウスの人工コアを複数搭載し、出力の爆発的増大と慣性制御の精密化を実現したそれは、高火力、高機動、重装甲の矛盾をクリアしている。
 装備群を総称し、名を“アルタスク”。対IDOL兵器としてはトゥリビータに先を越される形になりはしたが、その性能は本部のお墨付きだ。
 「最近、本部からブラックボックスに関する解析情報が遅れていると思ったら、こんなものを作っていただなんて……」
 激変を遂げ、真に兵器として洗礼されたヴェルトールの姿は、見る者に威圧を与え、恐怖心を煽る。その場の全員が深い溜息を吐いた。
 手元の資料を見直していると、不意に、小鳥が遠くの誰かを見据えるようにして言った。
 「これ、宙君が望んだことなんですよね」
 自分を落ち着かせるように、一息。高木は顔をしかめながらも頷いた。最初にコラプサーが届いた時、装備を使いたいと即座に申し入れてきたのは、他でもない宙である。
 東京に戻って来てからの宙はどこか狂気的な雰囲気を滲ませていた。内面から溢れる重い決意、とでも言うのか。とにかくそういうものが彼にあり、隠しきれるようなものでもなかった。最近では訓練室に篭って模擬戦闘ばかり繰り返していて、その不穏さが、余計に不安を煽るのだ。
 アイスランドで彼に何かが起こったのは明白で、その原因に関与しているであろう問題が三人の頭に浮かび上がる。
 高木は別の資料を手に取った。本部からの情報とアイスランドで入手した画像を織り込んだ“アンノウン<アイオーン>目撃報告書”と書かれたものだ。
 「さて、本題に移ろうか。もっとも懸案すべき事項。アイスランドに出現し、宙君と交戦した謎のアンノウンについてだ」
 重苦しい空気が室内を支配した。高木が言葉を切ると、誰一人として言葉を発することなく黙って資料を読み取っている。あずさに重症を負わせた戦いの元凶。資料に記載されている写真には、人形然とした不気味さを持った姿が、確かに写っている。
 もう三度も資料を読み繰り返したジョゼフは、首を振って沈黙を破った。まず現在で分かっていることですが、と前置きし、
 「詳しいことは目下解析中ですが、ヴェルトールの記憶領域に残っていた映像と宙さんの証言から鑑みるに、トゥリアビータとは別の第三勢力である可能性が極めて高いと思われます。整備班長の話では、用いられている技術も既存のものとは遥かに異なり、かなり未知の相手であることが伺えます」
 我々の知るに及ばない高水準の技術、とジョゼフは評した。
 謎の素材で作られた装甲を纏い、推進器に相当するものがなく、強力な慣性制御のみで推進する謎めいた技術も、常識で推し量れない部分が多過ぎる。
 本部はこれに対し、今後も現れる見通しが高いとして、対策と研究を各国モンデンキント支部に依頼。以後、このアンノウンを“アイオーン”と呼称することが採用された。――過去に得ていた情報を含め頭の片隅に何かが引っかかったが、今は気にするべきではないと高木は自己完結。モニターに再生される戦闘映像を見つつ、
 「再度出現する可能性。ジョゼフ君、君は本部の見解をどう見る?」
 「私も同意見ですね。アイスランドの戦いには、ヒエムスを含めた五つのオリジナルコアが揃っていました。そしてブラックボックスを抱えたヴェルトールの存在。地球上のオーパーツ的存在が一同に集結していたところに現れたのは、決して偶然ではないでしょう。アイオーンはIDOLを狙って現れる可能性が高い」
 「激突は避けられないか」
 「本部もそれを見越してコラプサーを送りつけてきたのでしょう。……対応が早過ぎて不気味ではありますが」
 確かに、アイオーンに対する本部の行動は迅速だった。悪いことではない。しかし、IDOLに対して否定的な意見を持つ支部や派閥を無視してまで新装備を開発していたのも、何かしら裏があると見て間違いない。不安は残る。
 もっとも、まるまる今回の件に対して一番心揺れているのはアイドルマスター達のはずだ。元来、彼女達はアイドルであり。モンデンキントに所属しているのはドロップを迎撃するためであって。未知の敵と“戦争”するためでない。お門違いなのである。
 ……トゥリアビータとの戦いを強要している私の言えた義理ではないな。
 彼女達に戦いを求めてしまう己の無力に良心が傷つけられるのを感じながら、高木は深呼吸を一つして、弱気な気持ちを追い払った。全ての責任者である自分が弱音を吐いている場合ではないのだ、と。
 「社長はあまりご心配なさらずに。マスターの皆さんに対するケアは全力を尽くします」
 「……ありがとう」
 こちらの気持ちを察してかけられた言葉に、ふっと頬が緩んだ。有り難いなと感心し、彼の有能さに改めて感謝する。頼りがいのあるとはまったく彼のためにあるような言葉だな、と思い。高木は今回の事柄について思案した。
 何か大きな意思が働いている。高木は半ば確信するように目を細めた。
 モンデンキント本部を上から支配するあの組織、“グランドロッジの猫”の存在が脳裏を過ぎった。過去、高木がモンデンキントJPの総責任者になる以前の、組織の後ろめたい暗部にいた頃の記憶。それを思い出すのに付随して必ず浮き上がって来るのは、決まってグランドロッジの猫についてである。
 奴らのことだ。まだ開示されていない情報が必ずあるに違いない。そして、裏で各地に働きかけているのもまた明白。
 そう考えると、宙の“存在”を表向きにしたのはやはり間違いだった。“宙の秘密”。それを知った時には、すでに宙はアイドルマスターとして活躍を続けていたのだから、後の祭りでしかないのだが。これに関しても、隠された真実があると高木は踏んでいた。“彼”はまだ何か隠している。もう一度、彼の元へ出向く必要があるかもしれない。
 さて、どうしたものか。問題は山積みであるし、
 ……千早君のこともどうにかしなくてはならないな。
 ふぅ、と疲れを吐き出した高木は、かこんっ、という獅子落としの音を静かに聞いた。

                  ●

 沈んでしまったビル群。過去にお台場と呼ばれ、今は東京湾の一部になってしまった海を望める場所に、その病院はあった。
 日本中から有名な医師を集めた私立病院で、施設も医療体勢も申し分ないものである。まだ駆け出しで、最近ようやくローカルの深夜番組やラジオに出られるようになった程度のアイドルが入院するにはあまりに不釣り合いではあるけれど。
 三浦あずさはふとそんなことを考えながら、入院費が馬鹿高いこの病院の中でも最も見晴らしが良い個室(おそらく入院費はあずさのアイドルとしての月収よりも高い)から海を眺めていた。開け放たれた窓から、カーテンを揺らして吹き込んでくる風が心地良い。そろそろ冬になろうかという冷たい海風は、あずさの気分を開放的にしてくれる。
 ……少しだけ、頭の傷に染みますけど~。
 あずさの額には包帯が巻かれており、シンプルな色合いのパジャマの下にも同じように包帯が巻かれている。つい一週間前に負った傷の深さを物語っているのだった。
 自分のケガは見た目以上に酷かったらしい。額と肩の裂傷もさることながら、肋骨も二本ほど折れていた。傷は最新の治療によって残らず、幸い内臓を傷つけることもなかったが、出血多量による体温の低下等も含めて、もう少し治療が遅れていたらどうなっていたか分からないと言われた。意識を失っていた間のことを考えるとぞっとしてしまう。
 となれば、このように大きな病院で万全な医療体勢の元、しっかり療養させてくれるアイドルマスター課の好意には甘えさせてもらおうと思う。好意というよりかは、マスターの重要性に基づく、あくまで組織的な思惑の範疇ではあるのだが。好意と表するところは三浦あずさらしいと言えるだろう。
 病院生活は、素直に言えばとてもつまらないものだった。静かな時間を過ごすのも嫌いではないが、それが何日も続くとどうも手持ち無沙汰になってしまうわけで。
 自分がいない間、同じユニットの千早はどうしているだろうかとか。アイスランドの件は一体どういう進展を見せたのだろうかとか。色々考えてしまうのだ。
 う~ん、どうしましょう~? と人差し指を頬に当てて首を傾げたあずさ。春香達が暇潰しにと買って来てくれた本はあらかた読んでしまったし、亜美と真美が貸してくれたゲーム機も、あずさにしてみれば異様に難易度の高いソフト(というか世間では無理ゲーと称される類である)しかなくて、本人達には悪いが暇潰しにもならなかった。
 本気でやることがないなぁ、と困り果てたあずさは、何気もなく壁に懸かったデジタル時計に視線を投げた。時刻はそろそろ三時になる。三時といえば午後のブレイクタイムが定番であるが、あずさは別の意味で心を躍らせた。急いで手鏡を取り出して髪型などをチェックする様は実に女性らしい。
 そんなことをしていると、こんこんとドアを叩く音。
 「俺だけど。入っていいかな?」
 「あ、はい、どうぞ!」
 少し声が上擦ってしまっただろうか。変に思われないだろうか、と細かいことをあずさは考えたが、そんなことは気にもしていない様子で、天川宙は病室に入ってきた。
 スーツ姿の宙を見る限り、プロデューサーとしての研修を受けてきた後なのだろう。手にはあずさ御用達のスイーツ店の箱を持っていて、相変わらず慣れない笑顔で箱を掲げてみせる。
 「いつもありがとうございます。ここのケーキ、少し高いでしょう?」
 「あんたの気にすることじゃない。男の一人暮らしなんて、大して金も使わないんだ。趣味に使うこともそうそうないしな。趣味って言えば、こうしてあんたの見舞いに来ることくらいだよ。もう、ほとんど日課だ」
 そうなのだ。宙はあずさが入院してから毎日、こうして三時頃になると土産を持って見舞いに来てくれるのだ。暇を持て余したあずさにとって、この時間は一日でもっとも楽しみな時間になっていた。主に、宙に会えるということを大きな喜びとして。
 アイスランドでの一件以来、なんとなく宙との関係が縮んだような気がした。愛の告白みたいですね、と。思い出せば顔から火が出るような恥ずかしい台詞を言いもしたが、それに答えてくれた宙を嬉しくも思う。もうヴェルトールのアイドルマスター同士という関係以上に、あずさは男と女として宙を意識するようになっていた。
 それはつい最近の話で、自覚したのはアイスランドに赴く直前の話である。美希の積極的なアプローチにもやもやする胸中を考えていたら、自然と宙に恋心を抱いているのだという結果に辿り着いたのだ。驚きはなく、なんだ、そうだったんだ、という気持ちがすとんと胸に落ちてすぐに納得に至ったわけで。
 だからこうやって宙が顔を見せに来てくれるのは喜ばしいけれど、そうすると宙は自分のことをどう思っているのか想像してしまう。宙さんって鈍そうだし~、と自分のことは棚に上げて心中で呟いたあずさ。
 あの時彼が吐露した言葉の数々は、あずさを含めたアイドルマスター課全員に対する気持ちが強いだろうし、決して自分一人だけということではないだろう。
 見舞いに来るのもパートナーとしての義務みたいなものでしょうし、と。他の人間が聞いたら、いやいやあんたも十分過ぎるくらい鈍いですから、とご指摘を食らいそうな考えを思い浮かばせるが、本人は気にするどころか気づいてすらいない。少し考え込んでいると、あずささん? との宙の声ではっと現実に引き戻される。
 宙はいつものように見舞い客用の折り畳み椅子を隅から引っ張り出して座ると、横の簡易テーブルで箱を広げて見せた。イチゴのショートケーキ、大きな栗の乗ったモンブラン、明るい色合いをしたレモンチーズケーキなどなど。二人で食べるには多過ぎるくらい色とりどりのケーキが並んでいるではないか。
 「三時のおやつにはちょうどいいな。一応、あんたの気に入りそうな物を選んできたつもりだけど。どう?」
 「みんな私の好みばかりです。でも、二人じゃ食べきれませんね」
 「む……。まぁ、冷蔵庫にでも突っ込んでおけば数日は保つさ。誰か見舞い客が来た時に振舞えるし、な?」
 はは、と誤魔化そうとする宙が可笑しくてつい笑ってしまうと、わ、笑うことないだろうが! と恥ずかしそうに頬を赤らめて宙が言う。そんなところが可愛らしくて仕様がない。他愛もない会話が、傷を負ったあずさにとって一番の薬であった。
 ただ、心配なこともある。
 あずさは宙の顔をついと上目遣いで覗き込んだ。わずかな表情の陰り。頬も少しこけているようだし、疲れているのを隠している節があるのを、あずさは見抜いていた。
 「な、なに?」
 「少し働き過ぎじゃないですか? 千早ちゃん達から聞きましたけど、最近は模擬戦闘ばかりしてるって話じゃないですか。無理をして身体を壊したりしたらだめですよ!」
 「……あいつら、余計なことを」
 小さく舌打ちした宙は、指摘された疲れを取り繕うかのように表情を改め笑った。それが、まるで柳の下に立つ幽霊のような不気味さを含んでいて、あずさは不可解な悪寒が背筋を伝うのを感じた。ひどく、歪んだ脆い笑み。
 あずさは焦燥のようなものに掻き立てられて、宙に聞く。何故そんな無理をするのか、と。
 宙の回答至極単純だった。
 「強くなるために」
 それ以外に何もない。宙は続ける。
 「今が一番大変な時なんだ。ヒエムスは奪われたけれど、こっちはヌービアムを手に入れた。戦力比は五対一。ヒエムスがIDOLとして完成するのももう少し先になるだろう。トゥリアビータとの決着をつける、またとないチャンスだ。近い内、何かしらの作戦があると俺は踏んでる。だから、そのために」
 「強くならないと、いけないんですか……?」
 「俺には戦うことしかできないから」
 「そんなことありません!」
 思わず大声をあげたあずさに、宙はきょとんとなって目を丸くする。それもどこかわざとらしく思えて、あずさは胸騒ぎを覚えた。
 この人はこんなにも脆そうな人だっただろうか? 以前から不安定でどこか見ていられない危うさはあったけれど、今の宙はそれとも違う。
 不安定どころか、確固たる決意で裏付けられた意思の強さを思わせる反面、ひび割れたガラス細工のように突けば壊れてしまう脆さと、どうしようもない歪みを兼ね備えているように思える。
 誰にも本心を明かさずに、仮面で素顔を隠した哀れな道化師(クラウン)。
 この人はまだ孤独なんだ。彼の寂しさを埋めてあげられた、と。そんな風に考えていた自分が恥ずかしかった。
 もしかしたら彼は、ちょっとした拍子にいなくなってしまうのではないか。根拠のない曖昧な胸の動悸に苦しめられ、自分でも気づかぬ内に彼の手を握り締めていた。手の平の温かさが、不安という名の氷を溶かし、零れ出た水滴が目の縁から、流れる。
 「なんで、泣く?」
 「……あなたが泣かないから」
 「強い人間はきっと泣かないんだ。そう信じてる」
 自分と過ごすこの時間は彼の心を癒しているだろうか。そうであれば良いと願い、あずさはもっと強く彼の手を握り続けた。
 どれほどの間そうしていただろう。もう行かないと。宙はあずさの手を外した。あっ、と口から声が漏れてしまったのは、この時間が終わってしまうのが惜しいと思ったからに他ならない。昨日も、そしておそらく明日も、毎度宙と離れ離れになる瞬間が寂しくて堪らない。宙の心情を考えてしまった今日は尚更だった。
 「それじゃあ、また明日」
 「ええ……。また明日」
 他愛もない別れの挨拶。立ち去り際に宙は一度だけ振り向いて、
 「……いや、なんでもない」
 どうして言葉を止めるんですか。言って、くださいよ。私はもっとあなたの言葉を聞いて、あなたを知りたいのに。
 「それじゃ」
 「――あっ」
 言葉を返す前に、宙は笑顔を投げかけて扉の向こうに消えた。たぶん、笑顔だったと思う。笑顔だった、はずなのに。
 それが阿修羅のような凄まじい形相に見えて、あずさは震え上がってしまった。
 「宙、さん?」
 答えは返って来ない。この時あずさは、言い知れぬ恐怖に眩暈すら感じて。本当に宙が、自分の目の前から消えてしまう予感がしてならなかった。
 案の定。
 次の日、宙が病室に訪れることはなかった。

                   ●

 水瀬伊織は視界から目標が消えたのを認識するまで、時間にしてたっぷり二秒を要した。
 つい一瞬前まで王手をかけたのはこちらだったはずなのに、蓋を開けてみれば、ネーブラの拳は空を切っている。何故、という疑問が作り出す二秒間は天川宙=ヴェルトールにとって長過ぎる刹那だった。
 一対のスタビライザーを広げた姿は禍々しく、黒色の装甲は冷徹な威圧を嫌でも相手の心に叩きつける。そんな化け物染みた外見だからこそ、伊織の“消えた”という非現実的な表現はあながち間違っていないのかもしれない。如何なる手段によって成されたのかも理解できぬまま、とにかく、伊織はヴェルトールを見失った。
 やよいがサブパイロット席で叫ぶのと同時、重たい衝撃が振動となってコックピットを揺らし、そこで戦いは終了した。
 モニターに映る敗北の二文字に、伊織は悔しがって金切り声を絶叫させ、やよいが伊織を落ち着かせるまでに更に三分を費やすこととなった。
 そう、これはシミュレーションだ。訓練室に配置されたIDOLシミュレーターによる模擬戦闘訓練。
 いつも定期的に行われる訓練では、伊織とやよいのコンビは常に一、二位争いに参加しているほどの手だれだ。万年ビリの称号を欲しいがままにしていた宙のヴェルトールに敗れたことは、一度たりともなかったのに。今日、そのヴェルトールはネーブラを撃墜して見せたのだ。
 本部が送りつけてきたコラプサー・アルタスク。ネーブラを圧倒して見せたパワーの源はこれにある。理論上では他のIDOLを遥かに上回る性能強化を約束するそれを身に着けたヴェルトールは、確かに、依然とは比べ物にならない化け物に進化していた。万全な状態で望んだネーブラを返り討ちにする程度には、確実に。
 予想された戦闘力を超えた数値が叩き出され、模擬戦闘に立ち会っていた全員が、少なからず驚きの声をあげていた。
 伊織は擬似コックピットから飛び出すと、一目散に隣の擬似コックピットにぎらついた視線を向ける。そこにいるのは、無表情で佇むヴェルトールのマスターが一人。
 「ちょっと、宙! なんなのよ最後の動き! 反則っていうか、なんていうかその……!」
 負けは負けだ。それを自分でもよく分かっているが故、消化しきれない怒りを持て余しているのである。結果、伊織はくぅ~っ! と声を押し殺して足早に立ち去ってしまった。この伊織ちゃんがあの馬鹿なんかに……! 小さな叫びで悔しがる伊織を追いかけようとして、やよいはおろおろと視線を漂わせ、
 「あ、あの、伊織ちゃんも本気で怒ってるわけじゃなくて、えっと……」
 伊織の行動が気分を悪くさせたのではないかと、宙に対するやよいなりのフォローだろう。そんなやよいに、宙は一瞥して告げた。
 「気にしなくいい、早く伊織を追いかけろって」
 「え、あ、はい……」
 素っ気ない宙の物言いに表情を苦くしながら、やよいは訓練室を出て行った。その流れで出口に目を向けると、こちらに手を上げているおさげの女性を確認する。秋月律子だ。腕を組んで壁に寄りかかっていた彼女は、その手に持った紙束を掲げて見せる。
 「今、行く。場所を変えよう」
 そう言って移動した先は、休憩室脇のベンチだ。この時間帯は閑散としたもので、宙と律子以外には誰もいない。話をするには打ってつけである。自販機で適当な飲み物を二つ購入して、片方を律子に投げた。
 両手でキャッチした律子は、プルタブを開けようとしている宙に向かって、
 「最近、ちょっと皆に冷たいんじゃない?」
 「そんなことないさ。それより、頼んだものは――」
 「さっきの」
 言葉を強くして宙の言葉を遮った律子は、眼鏡の奥に瞳を光らせた。咎めているというより、腑に落ちないという意味合いが強い。少しずつ理解し始めていた天川宙という人間が、昔の、取っ掛かりのない壁のある青年に戻ったよう気がして仕様がないのである。律子は心中を落ち着かせようと吐息混じりに言葉を吐き出した。
 「さっきの素っ気ない態度もそうだけどさ。アイスランドから帰って来て以来、あんたちょっと変よ。皆、あんたのこと気に掛けてるわ」
 「どうもしない」
 断じ切った宙の口調は強かった。指先で微かに缶飲料の縁を弾いたりしていて、言外にこの話題を嫌がっているのが透けて見える。これ以上問い詰めても無駄だろうな、と判断した律子は、用意してきた紙束を宙に差し出した。
 それは資料である。数日前に宙から頼まれ、突貫作業で入手したとある機密文章。
 ハッカーの真似事なんて二度とするものじゃない、と依頼主である宙に文句を垂れた律子はその過程を思い出す。
 侵入したのはモンデンキントJPのデータベース。八月頃、ジョゼフ達が古いデータベースの奥底から、夜明けの柴月事件の際に破壊された機密情報をサルベージしていたのは聞き及んでいた。目的はその情報の一部。閲覧するためには、少なくともモンデキントJP層責任者である高木順一郎レベルのIDがなくてはならない。
 正直危険な賭けではあったが、バックアップをテンペスタースに協力してもらうことでどうにか切り抜けることに成功したのであった。無論、吸い上げた情報はその都合上断片的なもので、詳しいものではない。
 バスタルト。実験。真性異言能力。そんな単語がずらりと並んでいるだけ。正確な意味は解読することもできないだろう。
 「……で、こんなのを見てどうするつもり? 結構やばい代物よ。大きな声じゃ言えないけど、これって――」
 「人体実験だろ。所々は憶測を入れていくしかないけれど、かつてモンデキントでIDOLに関する実験が行われていたのは確かだったみたいだ」
 「昔の話だけどね。トゥリアビータが離反する前の話。さすがに今も行われているとは考えられないけれど――世間一般に公にできないようなことではある。深入りし過ぎるととんでもないことになるわよ」
 「悪いな、危ない綱渡りさせて」
 「もう二度としないからね。代わりに私が出した約束、守ってよね」
 ああ、分かってるよ。そう言いながらも資料を捲る横顔は硬い。律子は缶飲料をぐっと飲み干し、ゴミ箱に向かってひょいと投げた。左手は添えるだけ。どこぞの漫画で見た文句に乗って弧を描いた缶はすっとゴミ箱の中に消えた。
 その時である。休憩室の扉が開いて人影が入って来た。
 「げっ、まずい……」
 よりにもよって、現れたのは高木順一郎であった。律子は慌てて宙から資料を引っ手繰り背中に隠す。むっと膨れ面になった宙は、それでようやく高木の存在に気づいたらしく、彼に対して冷たい視線を送った。相変わらず一方的な不仲は解消されていないのか、と考えていると、高木が大仰に笑って手を振ってきた。
 「やぁ、休憩中かね」
 「は、はい。模擬訓練の途中でして……」
 少々上擦った声で答えた律子――だったが。その隣で突然宙がベンチから立ち上がり、高木に向き直ってこう言った。
 「あんたは俺を騙しているか?」
 空気が、凍ったような気がする。驚きを飲み込んで宙を伺うと、彼の表情は歪んでいた。溺れそうな感情で突発的に揺り動かされ、思わず発した言葉が引っ込みもつかず、吐き出してしまったのが見て取れた。その証拠に、宙は唇を噛み締めて、泣くのを我慢している子供のようだ。
 不躾な言動の真意は? 考えも及ばないまま、揺らいだ視線を注ぎ続ける宙に倣って、高木に目を向ける。対して高木は真剣な顔付きになっていた。
 沈黙は長く続かない。
 「私は君を裏切るような真似はしないよ、二度とね」
「その言葉、忘れないからな」
 ついと視線を外し、薄暗い情念を忍ばせた言葉を放った宙は、無表情のまま高木の脇を抜けて歩き出した。ちょ、ちょっとどこ行くのよ! あんたとの約束を果たしに行く。そう言い残す宙の背中を見送って、律子は目をしばたかせる。なんなのよ。どっと押し寄せた疲れに肩を押されるようにしてベンチに腰掛ける。
 いけない、まだこの人がいるんだった。慌てて姿勢を正すと、構わないと手で制する高木が自嘲気味に笑った。一度失った信用を取り戻すのは難しい、そう漏らしながら。
 宙と高木の間に何があったのかは知っている。高木が宙を実の息子のように思っていることも。宙はそれを受け入れられないような様子ではあったけれど。
 二人してベンチに腰を並べると、
 「先日データベースに侵入したのは律子君だね」
 いきなり、確信を突いてきた。嘘を吐いても無駄かな。高木の断定口調に降参の意を表した律子は、最悪クビを覚悟で首肯した。
 「……やっぱりバレてましたか」
 そもそも、テンペスタースの協力があったとはいえ、ただの一社員扱いであるアイドルマスターが簡単に侵入できるほどここのセキュリティは甘くない。ましてや、トゥリアビータのハッキングがあってまだ日も浅い。侵入を試みている時も、どこか“通されている”感覚を感じてはいたのだ。
 となれば、何故高木が自分を見逃したのか謎である。律子の疑問を先読みするように、高木は口の端を歪めた。
 ――あ、嫌な予感。素直に直感を信じた律子は即座にその場から逃げ出したかったが、ぽんと両肩に置かれた高木の手が逃げる選択肢を奪ったのだった。ああ、交換条件とはいえ、首を突っ込むんじゃなかったなぁ。
 後悔も後の祭りであった。



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Author:o-van P
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