FC2ブログ

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 第十五話 フェイクワールド


 刹那、装甲を問答無用で断つ斬撃が迸った。
 トゥリアビータが新鋭機ヒスバルトの音速加速による一撃である。本来の得物である刀剣を失っても、五指に装備された鋭爪だけでも十分な切れ味だ。慣性制御によって威力を増大させた爪の一掻きは、硬さを問わずそこに在るものを容赦なく切り裂いてしまう。無論、ネーブラとテンペスタースは回避を選択。間一髪のところでやり過ごす。
 強張った雪歩の頬に汗が伝った。新型機の存在は聞き及んでいたが、実際に相手取った時の緊張は計り知れないものがある。それが実戦であり、戦場の空気だ。
 ――現在ネーブラとテンペスタースに乗ってトゥリアビ―タの迎撃に回っているのは、雪歩と真、そして双海姉妹のコンビである。
 ネーブラとテンペスタースは適応するマスターの人数が多いため、疲労を考慮してのパイロット交代という措置が可能なのであった。逆にインベルやヴェルトールはマスターが限定されているので、特定の状況で運用し辛い面がある。
 さておき、多数の人工IDOLを相手にしながら雪歩は決意していた。ここは絶対に通さない、と。ここグリムス山の頂を越えられてしまうとヒエムスまで直行コース。例え一体でも通してしまえば、その隙間に敵が雪崩れ込んで来るだろう。そこでモンデンキントの敗北が決定してしまう。
 故に萩原雪歩は頑なに決意を体現し続けている。
 彼女はあの夏の日から多くを学んだ。大切なのは自分を信じてあげること。そして、それを支えてくれる仲間が傍にいることだ。雪歩に自身の在り方を教えた天川宙は、今はいない。戦いの中、彼とあずさの安否が唯一気がかりだった。
 ……ううん、今はここを守ることを考えないと。
 少しは自信が持てるようになったかな、と。己の胸に問いかける行為の代わりに、もちろんと代弁するネーブラの拳がエピメテウスの顔面を殴り飛ばす。ひゅうっ、と調子の良い口笛を吹く真。かっこいいじゃないか、雪歩。
 「あ、ありがとう真ちゃん」
 『これは亜美達も負けてられないね! 真美、あれをやるかね、やっちゃうかね?』
 『よろしい! 見せてやろう、テンペスタースの超ウルトラデンジャラススーパーゴージャスアトミックな必殺技を!』
 うっふっふ~、と奇妙な笑い声をあげて亜美と真美の駆るテンペスタースがネーブラの前に出た。亜美、真美、前に出過ぎだぞ! 真の忠告も右から左へ聞き流し空高く上昇したテンペスタース。そのまま空中で“余計な”一回転の後、片足を眼下に向かって突き出し重力殻を最大展開。瞬間的な停止、そして、
 『これぞ必殺!』
 『テンペスタースキッーークゥ!!』
 必殺技を叫ぶのはお約束。上空からライダーキックよろしく急降下を敢行したテンペスタースは、その軌道上に慣性制御で形成した重力波を残しながら敵機を爆散させていく。
 一直線に斜め一文字を描く姿は弾丸のそれだ。大仰な技名に負けず劣らず威力も申し分ない、まさに必殺技である。
 『どうどう!? 今の格好良かったでしょ!』
 「確かにカッコイ……じゃない! 防衛ラインを手薄にしたら意味がないんだってば!」
 真がモニターの双海姉妹に向かって説教を飛ばす。わぁ、まこちんが怒った! 真面目にやれー! 無数の敵に囲まれてこんな会話ができるのだから三人とも大した度胸である。雪歩なんて、さっきから敵に集中するだけで精一杯なのだが。
 とはいえ、ふざけた調子の亜美と真美も決してエピメテウスに後れを取ったりしない。
 ことテンペスタースの操縦において双海姉妹は群を抜いている。サブウェポンとしてレーザー砲台を装備するテンペスタースは火器管制と機体操作の役割分担が顕著であり、マスター同士の連携の真価が問われる。その点、双子である彼女達のシンクロはアイドルマスター随一だ。完全な阿吽の呼吸を可能とする。
 今まさに左右同時から襲い掛かってきたエピメテウスを、レーザー砲台と近接格闘で一度に別個撃破して見せたのが良い証拠だろう。二人乗りというモンデンキントのIDOLの特徴をもっとも引き出しているのは、間違いなくこの二人に違いない。
 防衛戦はすでに終結へと近づいている。両陣営とも先の戦闘で疲弊し、ほとんど泥沼の消耗戦だ。IDOL達の装甲は傷だらけ。機体の各部で無理が祟ってエラーが絶えない。
 トゥリアビータも戦力の大部分が削られその数も残り少ない。ネーブラとテンペスタースの壁を突破する余力もないのか、一進一退を繰り返している様子だ。
 ……本当にもう力が残っていないのかな?
 雪歩は小首を傾げた。あれだけヒエムス争奪に全力を挙げていたトゥリアビータが、最後の最後で消極的な戦闘。戦力のほぼ全てが無人なのだから、自爆覚悟の特攻を仕掛けて来てもおかしくないはずなのに、その場に踏み止まるような戦い方。
 違和感。
 そう、トゥリアビータの戦い方は、まるで時間を稼いでいるようにも思える。
 そういえば敵の新型は三機だと聞いている。ここにいるのはヒスバルトのみ。残りの二機の行方が気になった。すでに戦える状態ではないのか、あるいは――。
 まさか陽動?
 「いや、それはないよ。火口の周辺は見渡しが良いし、僕達の目を盗めるような障害物もない。別の反応があれば索敵機器が反応するはずだ」
 考え過ぎだよ。そうなのかな、と声を小さくする雪歩。それならば何の問題もないだろうが、ささくれのような不安がどうにも拭えなかった。
 もし自分が相手の立場ならこの泥沼な状況に臆して逃げているかもしれない。そんな弱気な考えが浮かんで、また悪い方向に考えていると自己嫌悪。穴があったら入りたい。いや、地面があったら自ら掘って埋まる。それが雪歩クオリティであり。
 そんな些細な自問自答が突然の閃きを呼ぶ結果になるとは誰も思うまい。
 ……穴を、掘る?
 雪歩は眼下に広がる風景に視線を落とした。一面雪に覆われた広く白い大地。無数の亀裂、クレバスと、小規模な山々。その起伏のいくつかはグリムス山と同様の火山だ。それ以外は障害物もなく遠くまで見通せる俯瞰風景。身を隠せるような場所は確かにない――ように思える。
 かちりっ、と。複雑な形状で絡み合うパズルが完全な形となって噛み合った。組み合わさったパズルが描き出すのは、トゥリアビータという敵の微笑。
 さっと血の気が引いた雪歩は叫んだ。
 「小鳥さん、地面の下です! 下をスキャンできますか!?」
 『地面の下? ……まずい、その手がっ!』
 飛び込んできた言葉の意味を、管制トレーラーの小鳥は即座に理解した。
 してやられた! モニターの向こうで小鳥が表情を歪める。送信されてくる情報は、火山の中に二つの反応を示していた。一つはヒエムスのもの。そしてもう一つは、間違いなく人工IDOLのものだ。機体照合、既存のデータバンクに情報なし。――新規情報と照合。トゥリアビータ新型機ヒドルンと推定。
 表示される文字に視線を走らせて、アイドルマスターの一同は言葉を失った。
 『どどど、どういうこと!? 亜美達は一体もここ通してないよ!』
 『そうだよそうだよ! なんで火山の中に敵がいるのさ、意味不明!』
 亜美と真美の訴えはもっともである。ただ、この火山地帯の特徴を利用したトゥリアビータが一枚上手だったのだ。
 そも、グリムス山は“どこの上に存在しているのか”。無論、大地の“上”にである。では“下”には何があるだろう。
 グリムス山を中心とした小規模な火山群は、地下のマグマ貯まりを通じて繋がっているのだった。IDOLの重力殻ならば、マグマにも負けず、そこを通ってグリムス山の中に侵入することもできよう。
 迂闊だったと、言わざるを得ない。
 『作戦を変更、急いでヒドルンを阻止してください!』
 ジョゼフの指示に機体を急ターンさせ、火口に突入するべく加速する二機のIDOL。だが、
 『させぬ!』
 斬撃一閃。持ち前の高速機動で二機の前に立ち塞がったのは、もちろんヒスバルトに他ならない。やはりヒスバルトとエピメテウスは陽動。まんまと乗せられた悔しさを感じつつ、雪歩はヒスバルトへ突撃した。手の平で踊らされたままだなんて、宙に笑われてしまうではないか。
 「お願い、退いてください!」
 『退けぬ。貴公達をここで足止めするのが我が役目』
 ネーブラの拳を、ヒスバルトは肩のバーニアで平行移動、これを回避。三次元的なアクロバティク機動でネーブラの背後に回り込むと、レイヤーごと装甲を刻まんと爪を振るう。雪歩は瞬間的判断、背後に向かって機体を捻り、遠心力を乗せた裏拳をヒスバルトに叩き込む。攻撃の交差は互いの装甲を削り火花を散らす。
 「急がないといけないのに!」
 『隙を見せたのが運の尽き。騙し討ちとは少々無粋ではあるが、な!』
 蹴り。細足から繰り出される、しかし重い一撃だ。防戦から一転、決して進ませぬと不退転の覚悟で攻撃を開始するトゥリアビータ。
 私だってがんばればできるんだ! 自分に言い聞かせて、雪歩はヒスバルトに向かって行く。
 負けたくないと、思った。勝ち負けなんて決めることさえ苦手で、いつも縮こまっていた自分が、誰かに勝ちたいと強く願っている。宙ならばそれを成長と呼ぶだろう。一歩ずつ、でも確かに進んでいる。
 変われるのだと思う。私は変われるのだと思う。弱気な自分から強い自分へ。だからこの戦い、絶対負けたくない。変化を求め全力を尽くす雪歩は、そう思っていることこそ、すでに変われた証拠だということにも気づかず。道を阻むヒスバルトと死闘を繰り広げる。おそらく、この時間は成長した彼女にとって最初の舞台なのだろう。
 ――ただ、残念なことに。それが敗北で終わってしまうという事実が惜しい。
 次の瞬間、衝撃を孕んだ光が世界に溢れた。
 ヒエムスが、開放される。

                   ●

 「……マツリ姉さん?」
 天川宙の声が震えた。呆然とした表情で一点を見つめる青年の瞳には、たった一人の女性だけが映し出されている。ヒクリオンの手の平に乗ったリコリス、その人が。
 彼女の素顔を目撃した瞬間、宙の中で時間が止まった。否、逆行した。凍てつく風の音も、ヒクリオンの駆動音も、全ては意識の外へと排除され。記憶という自己を構成する欠片が脳裏で弾け、最果ての記憶まで――あの日、捨てられた自分に姉ができるその瞬間までの記憶が――走馬灯のように流れた。
 宙の姉、天川マツリ。どこまでも気高く、美しく、そして強かった、愛しい人。ああ、そうだ、彼女は死んだ。死んだのだ。死んだ、はずなのに。
 どうして彼女は自分の目の前にいるのだろう。
 「姉さん?」
 今一度問いかける。確信を得ない空虚な声色。これは幻、夢なんじゃないかと疑ってしまう。死者は決して生き返らない。だから死んだはずのマツリがここにいるはずがないのだと、宙は思った。
 だが、敬愛した姉の姿を間違うはずなどない。彼女は間違いなく天川マツリだ。
 「なんで、なんで姉さんが生きているの!」
 追い縋るように手を伸ばした先、リコリスは振り返った。白い髪と赤い瞳。どちらも非凡なれど、その容姿は天川マツリその人に他ならない。リコリスは手を伸ばす宙を見て、瞳にとても悲しそうな陰りを見せた。今まで感じていた大切なものが瓦解していくのを目の当たりにしているような、ひどく切なくやり切れない表情。
 いまだ肩で息をするリコリスは、
 「君も私をそう呼ぶのね……」
 落胆とも取れる言葉の中には、ある種の決別を感じさせる雰囲気があった。それだけ言うとリコリスは背を向けて振り返らなかった。もう未練はないと言わんばかりに。何度呼んでも、叫んでも、もう二度と振り返らない。その場を離れようとするヒクリオンがゆっくりと空中に浮き上がった。
 「いいよ、ヒクリオン、行って! ほら、インベルが来た!」
 リファが指差す先には白い巨影。インベルは宙の姿をすぐに認識した。立ち尽くす仲間と膝を着いた敵機。当然、春香と千早はあまり良い状況と思わないだろう。インベルは瞬間加速、突風を撒き散らしながらヒクリオンと宙の間に割って入った。
 『宙、無事でよかったわ!』
 喜びの色が濃く表れた千早の声。探したんだよ! と春香。二人は宙が無事だったことを喜んで、生身の宙を守るようにヒクリオンに立ち塞がった。どんっ、と盛大に着地して宙の視界を遮った巨体。ところが、
 「邪魔すんな、そこを退け!!」
 宙を助けようとした二人が浴びたのは、怒りに満ちた宙の叫声だった。それこそ、憎しみの塊を叩きつけるような怒号。思わぬ反応に状況を理解できない当の二人は、顔を見合わせてぽかんと口を開けたまま、硬直した。敵が目の前にいる以上、宙が危険な状況に変わりないはずなのだから。
 痺れを切らし、宙は舌打ちと同時にインベルの足元を走り抜けた。
 危ない? そんなこと関係ない。宙の心を埋め尽くしていたのは、亡くなったはずの姉の姿だけだったのである。
 「ヒクリオン、今の内に逃げて! リコリスを早く安全な所に!」
 「待ってくれ! 待って!」
 リファの命令に従ってヒクリオンは上昇を開始。宙の安全が最優先だと判断し、手を出さないと決めた千早達の判断とは裏腹に、当の本人はヒクリオンを追って行く。悲痛なまでに叫びながら、ひたすら嘆願し、手を伸ばす宙の言葉はリコリスには届かない。いつの間にか宙は泣いていた。
 「待ってよ……!」
 もう掠れた声しか出ない。次の瞬間には、足がもつれて雪の上に転がった。情けない。無様だ。でも、こんな無様を晒してでも、亡くなったはずの姉が目の前に現れたら格好なんて明後日の方向だ。
 幻なんかじゃない。彼女は生きていた。
 事実は既存の現実をぶち壊したのだ。故に追う。失った大切な人を。
 必死に起き上がって、宙は五指を開いて手を伸ばした。もう点としか映らない遠くのヒクリオンに、リコリスに向かって、くしゃくしゃに歪めた表情で頬を濡らしながら、叫んだ。待って、と。
 「置いて行かないで、一人にしないで!!」
 声は、届かない。彼女は行ってしまった、宙に振り返ることもなく。
 無言、静寂。しばらく、虚空を掴んだままじっと動かなかった宙は、やがて手をぶらりと落とした。雪に膝を埋めたまま、嗚咽を漏らしながら天を見上げる。
 分からないことが多過ぎて頭が混乱した。最愛の人が生きていたという、漠然とした現実が宙の意識から外界を吹っ飛ばしていて。だからだろう、自分の肩に手が置かれるまで千早がインベルから降りて来ていたことに気づけなかった。
 「如月?」
 千早は目尻を下げて心配そうに宙を覗き込んでいる。しゃがみ込み、視線を合わせた。
 「心配したわ。ケガはない?」
 身を案じてくれる優しい音色。まるで上品な楽器を思わせる綺麗な声に――ふと、言い知れぬ黒い感情が込み上げてきた。灼熱色を帯びたそれはあまりに唐突過ぎて、宙自身それを諌める術も知らず、爆発的な勢いで波紋を広げる感情が制御できない。
 きっ、と凄まじい形相で千早を睨む。そのまま彼女の腕を掴むと、力任せに地面に押しつけた。短い悲鳴をあげて倒れ込む千早に、宙は言った。
 「おまえさえ邪魔しなければあの人と話せたかもしれないのに! もっと顔を見れたかもしれないのに! 邪魔だって言ったじゃないか!」
 「い、痛い! やめて、嫌!!」
 それが自分勝手な八つ当たりだという考えにすら及ばなかった。ただ無性にこいつが憎い。涙が千早の頬に落ち、奇声さながらの罵詈雑言を吐いて、終いには千早の首に手を掛けた。ひゅうっ、というか細い呼吸の音。細くて白い女の首など簡単に圧し折れるのだ。ぐっと力を込めれば、それでこの女の耳障りな悲鳴を聞くこともなくなる。
 過激な思考が宙を支配しかけた時、宙の身体は突然の衝撃に突き飛ばされた。
 千早の後を追って来た春香だ。咄嗟の行動だった。今の宙は正気ではない。故に千早から遠ざける。そうしなければ千早が本当に殺されてしまいそうだったから。目尻に涙を浮かべて、春香は立ち上がろうとする宙をもう一度突き飛ばし、
 「バカ宙! どうしてそんなことするの! 千早ちゃんがどれだけ宙のこと心配したか知ってる!? それなのに首を絞めるなんて、普通じゃないよ、どうしちゃったの!?」
 普通じゃない。春香の言葉に、尻餅をついたまま千早を見る。ゆっくりと起き上がりながら咳き込む千早はとても苦しそう。首にはうっすらと赤い手形が残っており、その時になって初めて、宙は自分の行動に愕然となった。あと一歩で人の命を奪っていたかもしれないのだから。
 血の気が引いてようやく冷静さを取り戻した思考は、怯えた表情の千早を認識した。
 「お、俺は人を殺しそうになった?」
 心の中に自力では飼い慣らせない何かが棲んでいることに気づいたのは、おそらくこの時が初めてだっただろう。それが顔を出した。激昂の刹那で人を殺められる人間なのだ、自分は。こんなもの、姉の命を奪ったトゥリアビータよりも質が悪い。己の異常性、復讐を求める天川宙の本質が顕れた気がして、とても怖くなった。
 一度にたくさんのことが起こり過ぎる。頭を抱えて身体を丸めた。様々な色の混じった現実が宙を押し潰そうとしている。重圧に、もう、堪えられそうにない。息苦しく、深海の中で足掻いているような錯覚すら覚える。
 絶望の海に沈みかけた。けれど、それを強引に引き摺り上げる手があった。
 胸倉を掴まれて顔を上げたところで頬に面で痛みが来た。
 平手だ。
 「泣かないで!」
 それは如月千早だった。怯えた表情に混じる吊り上げた眉と揺れる瞳が、かろうじて平静さを作っている。
 「立って」
 「如月……」
 「立ちなさい!」
 強い口調だ。有無を言わさない。クールな彼女がこんなに感情的になっているのは初めて見る。傍で春香も面食らっていた。意外な一面に気圧されたのか、驚いて素直に立ち上がった宙。二人が向かい合うと、言葉が来た。
 「今この瞬間も萩原さん達は戦っている。ヒエムスのコアを回収するために。男は度胸なんでしょ? だったら言葉通り度胸を見せて!」
 目を覚ましなさい! 一喝。
 「時間がないの。あなたとあずささんの力が必要なのよ」
 「あずささん……。そうだ、あずささんが!」
 三浦あずさ。彼女のことが頭に浮かんだ途端、冷水を浴びたように意識が鮮明になった。
 あずさはまだ洞窟の中で寝ているはずだ。応急処置をしたとはいえ、重症であることに変わりはない。ぐるぐるとまた疼き出す記憶を気合で打ち消し、重い口を開いて経緯を説明した。正体不明の敵から襲撃を受けたこと。ヌービアムと共にクレバスに墜落したこと。負傷した自分達をリコリスが手当てしてくれていたこと。
 自分が見たリコリスの素顔については詳細を伏せた。今掘り返せばまた頭がややこしくなる。
 まずあずさの手当てが必要だ。そう言うと、千早は手を顎に当ててわずかに思考。しばらくして、別行動を取りましょう、と意見を出した。続けて千早の口から現状が説明される。アイスランドが危ない。
 「宙はジョゼフ課長達の所まで戻って。あずささんを預けてから合流しましょう。ヴェルトールは動く?」
 「まだ眠ってる。インベルのエネルギーを少し分けてくれれば、それを起爆剤に起こせると思う。おまえ達はどうするんだ」
 「私に考えがあるの。春香、手伝ってくれる?」
 「うん! じゃあ、善は急げだね。……宙は大丈夫?」
 春香の視線を直視はできなかった。平気さ。そう答えるのがやっとの有様だったけれど、あずさの身を案じている内は自分を保っていられた。だから今は大丈夫。今は。
 三人は頷き合って駆け出す。宙は洞窟へ、千早と春香はインベルへ。
 洞窟に戻ると、鎮静剤を打たれて眠っているあずさの横に膝を着いた。傷つけてしまった心の恩人。虚ろな瞳であずさを眺めると、早くここから出よう、と心が急かした。あずさを抱き上げて寒くないように毛布を巻いてやる。
 さっきから涙が止まらない。もしかしたら涙腺が壊れてしまったのかも。
 壊れる、壊れたというのなら今の自分そのものが壊れている。心がごちゃごちゃで、呼吸だって苦しい。もしできるのならば、この極寒の地で永遠に氷漬けになってしまいたい。そうすれば何も考えずに済むのだろうから。
 リコリスの正体。たった一つの出来事が宙を狂わせる。生きていてくれた喜び、そして戸惑い。千早を殺そうとさえした自分の狂気、本性。いっそ本当にイカれてしまえば苦しむことなどないのだろうか。ああ、涙が止まらない。
 と、宙は不意に手の平に温かな感触を得た。見れば、眠っているはずのあずさの手が、包み込むように宙の手を握っていた。無論、あずさに意識はない。それが無意識のもので、どのような意味を持っていたのかは定かではない。ただ理解できたのは、慰めるように伝わってくる柔肌の感触だけだ。
 「俺はどうするべきなんだ……」
 復讐の相手が仇を取るべき人だった。こんな茶番があって堪るものか。
 胸にぽっかりと空いた穴が――使い古された表現ではあるけれど、使い古されるだけの理由がある。穴は深淵だ。これほど重い表現はない――再び開いた。
 洞窟の外に出ればヴェルトールが待っている。宙がすべきことはあずさを安全な場所に送り届け、トゥリアビータとの戦いを終わらせること。理解しているのに、宙はひたすら悩んでいた。進んでいた道の先が崖で途切れていた無慈悲さに嘆きながら。
 ――まだ取り返せる。
 だからこそ、聞こえてきた相棒の声は、ひどく魅力的に感じられて仕方がなかった。きっと宙を心配しての慰めだったのだろうが。その一言で、宙は瞳に黒い炎を宿したのだった。黒い黒い底なしに燃え上がる心の炎。
 そうだな、その通りだ。取り返せる。奪われた大事なもの全部。
 まず確かめなくては。あの人が、本当に天川マツリなのか否なのか。自分の知らない世界の裏側も何もかも。
 嘘の世界をぶっ壊して。
 必ず取り戻してみせる。
 歯車が歪な音を立てた。誓いを胸に秘めた宙の顔には、凄絶な笑みが浮かび上がっている。

                  ●

 「千早ちゃん、無理し過ぎ!」
 インベルのコックピットに戻って春香の第一声がそれだった。きょとんと目を丸くして、思い至って、ああ、と首筋を撫でた。首には手形が赤く痛々しく残っている。
 「平気よ。私は気にしてない」
 「怖かったでしょ!?」
 「それは……そうだけど」
 千早は眉間にしわを寄せて、うーんと唸る。怖くないはずがない。とても怖かった。押し倒された時の宙はまるで別人のようで、本能的に危機感を覚えたのは確かに事実だった。何故、彼があれほどまでに取り乱したのか。結局状況と経緯を説明してくれただけで、詳しいことは聞いていない。時間はなかったし、正しかったとは思うけれど。
 ガラス細工。千早は宙のことをそのように連想した。触れれば砕けてしまいそうな、ひび割れて歪んだガラス細工。ともすれば、胸倉掴んで説教をかますだなんて、なかなか大胆に出たものだ。如月千早としては。
 「よくがんばったよ!」
 突然、春香に後ろ抱きにされてきゃあと声がでる。なんのつもりよ、春香。
 「好きな人に首絞められたっていうのにちゃんと宙を叱った! 自分だって苦しいはずなのに第一に宙のこと考えた! 偉いよ!」
 「でも私そこまで考えてない。咄嗟で」
 「怖いのも我慢した。千早ちゃん、ずっと怯えた表情してたもん、分かるよ。だからせめて私の前くらいでは泣いてもいいんだよ?」
 春香の優しさに涙が目元まで込み上げてきたけれど、ぐっと堪えた。泣いている場合ではない。自分達にはやるべきことがある。責務で気持ちを切り替えられる自分の性格に、今は感謝したいと思う。
 「……ありがとう。その気持ちで十分よ」
 首筋の痛みも、彼の憤りや不安が証のように刻まれた痕も、後回し。
 まずはヴェルトールを起動させる。そして、
 「アイデアがある。成功すればアイスランドの沈没も防ぎやすくなるわ」
 首を傾げる春香に、自信を覗かせる笑みで頷く。千早は自分の役目に集中し――。
 アイスランドに激震が奔ったのはそれからしばらくしてだった。

                   ●

 タイムリミット。ヒエムス開放の衝撃がアイスランドを揺るがした際、雪歩の思い浮かべた言葉だ。まさに一瞬の出来事。波紋の如く広がった揺れはすぐに収まった。だが、逆にこの静寂こそが不気味。嵐の前の静けさに他ならない。
 タイムリミット。すなわちヒエムスが敵に奪われ、アイスランドの大地から切り離されたということ。二〇年という歳月、地殻変動のエネルギーを蓄積したアイスランドという核級爆弾の安全装置が消えてしまったら。
 嫌な汗が雪歩の背中を撫でた時、グリムス山の中から外へ向かって来るIDOLの反応をセンサーが捉えた。火口へ振り向くと、波打つ溶岩の表面がぼこりと盛り上がり、それを突き破ってくる赤褐色の姿が現れた。膨れ上がった重装甲、複数の凶悪兵器を搭載した人工IDOLヒドルンである。
 ヒドルンの腕の中には、どくんどくんと脈打つ何かが大事に包み込まれている。神秘的かつ超生命的存在。あれこそがヒエムスのコア。まだ人の手が触れたことのない、機械的改造を加えられる前の天然のコアだ。雪歩は脈打つコアに心が高鳴るのを感じた。なんて純粋で綺麗な存在なのだろう、と。
 だが見惚れている場合ではない。あれを奪われてしまったら、モンデンキントとトゥリアビータの勢力比が塗り変わる。モンデンキントがコアを集めるのは、トゥリアビータとの力関係を明確にし、二度と夜明けの紫月のような大きな事件を起こさせないためだ。もし彼らがその力を大きくすれば、手段を選ばない蛮行をしでかす恐れもある。
 でも蛮行という点ではモンデンキント上層部も同じ。アイスランドを見捨てると結論した上層部も、トゥリアビータと変わりないのかもしれない。そこに所属する雪歩は複雑な心境に駆り立てられた。
 ともあれ、コアを取り返さないと。雪歩はフットペダルを踏み、ヒドルンへと加速する。だが、
 『勝負は決した。これ以上の戦いは無用!』
 上段から振り下ろされるヒスバルトの斬撃。堪らずネーブラは回避を余儀なくされ、ヒドルンはその間に上空へと離脱して行く。テンペスタースも複数のエピメテウスによる自滅覚悟の特攻に追うことができない。
 「あなた達は卑怯です!」
 『……騎士の心には響く。その言葉、しかと受け止めよう』
 「そう思うならどうして」
 『騎士とは主人に傅くものである。例え己の意思とは反しても』
 すまない、この地を救ってくれ。ヒスバルトから嘆願にも似た言葉が聞こえた。
 えっ、と耳を疑う。疑問を遮るように、ヒスバルトは強力な回し蹴りをネーブラに見舞った。下から上にすくう様な一撃。胸部を打ちつけられて、雪歩と真の悲鳴と共に蹴り飛ばされる。
 「ぐぅ! 雪歩、大丈夫!?」
 「う、うん。なんともない。トゥリアビータは……」
 雪歩が視線を向けた時には、すでにヒスバルト達は退却を開始していた。
 コアを、奪われてしまった。ああ、負けたのだ、と。自分を信じて戦った結果がこれだ。悔しさのあまり噛み締めた唇が切れて、口の中で血の味がした。
 「雪歩、追えば間に合うかもしれないよ! 今すぐにでも――」
 『真ちゃん、それは許可できません』
 「小鳥さん!? どうしてですか、まだ取り返すチャンスだってあるのに!」
 『落ち着いて、確かに今追いかければ、あるいはコアを取り返せるかもしれない。でもコアを失った以上、このアイスランドはいつ大地震が起きてもおかしくないのよ。そうなったらアイスランドは沈没してしまう』
 小鳥の言うことはもっともだ。現状、アイスランドは非常に危険な状態にある。いつプレートが暴走するか予測できない事態なら、早急に対策を打たなくてはならない。すなわち、四機のIDOLによるプレート接点への慣性攻撃を。
 小鳥の言葉を、ジョゼフは引継ぎこう言った。
 『我々にとってコアは重要なものです。しかし、この国の人々の命と比べるにはあまりに軽過ぎる。コアを奪われた失敗は挽回できても、失われた命は決して帰って来ない。この国の人々の命が第一なのです。分かりますね、菊地さん』
 「……はい」
 くそっ! と真は操縦桿に拳を叩きつけた。真だって人命の方が大事なことぐらい分かっている。ただ雪歩と同じように、彼女も悔しいのだ。すぐに割り切ることができないのは、雪歩も真もまだ未熟だからだろう。若さ故の純粋さか。とはいえ、こうして黙ってばかりもいられない。すぐに行動に移らなくては。
 しかし肝心のIDOLはネーブラとテンペスタースのみ。残りの二機がいなければ作戦は成り立たない。
 『それなら問題ありません。先程インベルから連絡が入りました。天川さんもすでにこちらで再出撃の準備に取り掛かっています。もうすぐ天海さん達が到着するはずですので、先に作戦を開始してください』
 「宙さんもあずささんも、無事なんですね? 良かったぁ」
 「まったくあの二人は。きっと無茶したんだろうな」
 二人の無事に安堵して笑い合う雪歩と真。しかし、ジョゼフはあずさのケガについては何も言わなかった。ここで説明してもマスター達のモチベーションを下げるだけだからだ。隠された事実に騙されて、雪歩は俄然やる気を出した。
 ……私もがんばらないと!
 思い、雪歩は指示に従ってネーブラを火口直上に移動させた。テンペスタースも隣に並び、眼下、燃え滾るマグマを見据える。
 作戦はこうだ。いち早くプレートの暴走を防ぐためには、春香達の到着を待っていては間に合わない。故に、まずはネーブラとテンペスタースでプレート接点に慣性エネルギーで“楔”を打ち込む。これによって暴走の時間を遅めるのだ。
 もちろん、二機の攻撃だけでは純粋にパワー不足。あくまで時間を稼ぎ、到着した春香達の追加攻撃によって作戦を完遂させる。
 ネーブラのステータスはお世辞にも良いとは言えない。各部の損傷は応急処置で誤魔化しているし、それも続く戦闘で限界が来ている。だが、それにも関わらずネーブラの駆動音は勇ましく鳴り響いている。任せろ、と言っているようで、雪歩には不思議と不安がなかった。ネーブラもがんばってくれるのだから、きっと成功する。そう信じて。
 「行こうよ、雪歩!」
 「うん! 亜美ちゃん、真美ちゃん、いいね?」
 『もちのロン! 張り切っていっちゃおー!』
 『テンションメチャ上げて行くよ!』
 言葉を契機に、ネーブラとテンペスタースの重力殻を最大展開。亜美と真美は言う。自分達アイドルマスターとIDOLとの信頼関係。絆の強さが奏でるハーモニーこそが力になる、と。だからもっと強く信じる。信じて、信じ抜いて、それを力に。
 「せぇーのぉ!」
 合図。次の瞬間、ネーブラとテンペスタースは弾丸の如く急降下した。拳を振り上げて、トリークハイトブレッヒャーの慣性エネルギーを集中し真下へ設定。雲を吹き飛ばして進む二機のIDOLに迷いはなく。刹那、轟音を連れて火口へと拳をブチかます。
 炸裂――!
 火口に侵入することなく、その手前で機体が止まったのは、莫大な慣性エネルギーの反動によって機体が押されているためだ。制御できる限界まで高められた高密度の慣性エネルギーは、一瞬でも気を抜けば弾き返されてしまうほど強力。段々とフレームが蝕まれ、各部にレッドアラートの表示が出る。
 だが、このままでは引けない。引くわけにはいかない。雪歩は歯を食い縛った。
 それでも限界はある。楔を打ち込み、管制トレーラーから送られてくるプレートのデータは暴走を食い止めるに至っている。しかし長くは続かない。徐々に上昇していくプレートエネルギーは、しばらくすれば楔を超えて爆発してしまう。そうなればアイドルマスター課の面々もろとも、アイスランドは海の底だ。
 そんなことあってはならない。あってはならないからこそ、
『春香!』
『もちろん、全力全開でぇ!!』
 彼女達がいるのである。上空より来たりしは白と黒の陰陽。セカンドアームを装備してすでに最大出力に移行しているインベルと、もう一体は黒のIDOL。ヴェルトールではない。二体は機体ごとぶつかる勢いで、集中した慣性制御をトリークハイトブレッヒャーとして解き放った。
 「インベル! っと、ヌービアム!?」
 黒のIDOLの正体。
 それはプロメテウス3・ヌービアム。かつて天川マツリの愛機であり、トゥリアビータの戦士リコリスが乗りアイドルマスター課を苦しめた強敵。
 『私よ、真』
 如月千早の声がする。ヌービアムからだ。
 「ど、どういうこと?」
 真が驚くのも無理はない。千早も宙の言葉で咄嗟に思いついた“アイデア”だったのだ。
 あの時、宙の話した経緯通りなら、マスターを失ったヌービアムが放置されているはずだと考えたのである。案の定、洞窟から少し離れた場所で岩壁に寄りかかるように倒れていた。千早はヌービアムの力を借りれば、作戦の成功率も高まるだろうと打算していたのだ。ただ、問題もあった。
 IDOLは気に入った女性にパイロットを限定する。果たして如月千早という少女が、ヌービアムのお眼鏡にかなうかは博打だった。
 最初、触れた操縦桿は冷たくて、ヌービアムが傷心しているように千早には思えた。リコリスに置いて行かれたことがショックだったのかもしれない。この子は傷つきやすい子だ。直感的にそう感じた。
 けれど心が敏感な子だからこそ、誠意を持って願いを伝えれば必ず応えてくる。だから千早は最初にこう言った。
 「はじめまして。私の名前は如月千早と言います」
 自己紹介。初めて出会ったのだから、当然だろう。IDOLとマスターの関係は全てそこから始まるのだから。
 ヌービアムの瞳が輝きを取り戻したのは、それから間もなくだった。
 ヌービアムは強い子だ。
 傷つきやすいけれど、強い子だ。
 『詳しい話は後で。片付けるわよ!』
 「くそ、かっこいい登場してくれるなぁ、まったく!!」
 にやりと笑みを交わす真と千早。インベル達の加勢によって、プレートへの抑止力は更に増大。二〇年という長い歳月を通して溜まったエネルギーを中和していく。
 インベルも、ネーブラも、ヌービアムも、テンペスタースも。どのIDOLも満身創痍だというのに。機体のあちこちが歪み、砕け、拉げ、レッドアラートを点滅させているというのに。それでも諦めることを知らない。
 アイドルマスター達の想いに応えるべく、全身全霊を持ってその力を解放するIDOL達。これは大自然との闘いである。元々ヒエムスによって歪められていた摂理が、二〇年越しにアイスランドに襲い掛かっているのを止めようというのだ、生半可なことではない。
 『そんな、まだ、止められない!?』
 千早の悲痛な叫びは、皆の気持ちを代弁していた。これだけの慣性エネルギーを放出しても、まだ止められないのか。
 想いは届かないのか。

                   ●

 管制室でジョセフは眉を吊り上げていた。
 傷だらけとはいえ、四機のIDOLを投入してもプレートの暴走は食い止められないのか。四機の放つ慣性エネルギーの威力は凄まじい値に達しているが、それでもなお、蓄積されたプレートエネルギーは大きい。思った以上に二〇年の壁は厚く険しいものだ。果たして、超えられるかどうか。
 「整備長、ヴェルトールは出せないのですか」
 外でヴェルトールの発進準備を進めている整備班に通信を繋ぐ。ヴェルトールが戻ってきた後、重症のあずさをすぐさま医療班に任せ、宙はヴェルトールのコックピットで待機状態だ。ヴェルトールの応急処置が終わればすぐにでも再出撃できる。――戻ってきた宙に、ジョゼフは得体の知れない違和感を感じたが、今は追及すべき時ではない。
 整備長からはすぐに返答が帰ってきた。その内容は、
 『本体の応急処置は終わってますが、肝心のアルツァヒールがボロボロで、正直使えそうにないですわ。二挺とも砲身が完全にやられとるし、処置のしようが……』
 無理です、という返答。
 高威力のアルツァヒールがないのでは、作戦の成功率は坂を転げ落ちるように激減する。元々繊細な慣性制御に向いていないヴェルトールでは、トリークハイトブレッヒャーを放つこともできない。下手な慣性制御で他のIDOLの邪魔をしては一大事だ。つまりヴェルトールは使えない、ということ。
 どうする。四機のIDOLだけで果たして止められるだろうか。楽観的な計算でも、成功率は極めて低い。だがそれでも――。
 『っ! 宙、何をしとるんや!』
 「どうしたのですか!?」
 『課長、何とかしてぇな! 宙が勝手にヴェルトールを動かしとる!』
 「なんですと!? 宙さん、まだ出撃を許可したわけではありませんよ! 宙さん!」
 呼びかけても宙からの返答はない。ただ、通信の向こうでおかしな言葉を、管制室の面々は聞いてしまった。
 『――俺は取り返す』

                   ●

 千早がついとモニターに目を向けた時、ついに右腕部にもレッドアラートが表示された。ヌービアムの機体全体で、もはや正常な部位を探す方が難しい。片腕を失くしたヌービアムは、最初から損傷が激しかった。ここまで保ってくれただけでも御の字か。
 だからといって、ここで操縦桿から手を離すことはできない。四機でかろうじて暴走を食い止めている状況なのだ。ここでヌービアムが戦線を離脱すれば、その瞬間プレート側のエネルギーに押し負けてしまうだろう。
 万事休すか。そう、誰しもが思ってしまった瞬間。
 『食い荒らすぞ、ヴェルトール』
 怒号、否。咆哮、否。荒れ狂った猛獣がその野生を極限まで研ぎ澄ましたもの、それ以上の狂気を孕んだ声が、静かに、上空から降ってきた。なんだろう、この重圧は。一線を越えてしまった何かを感じずにはいられない、深くどす黒い心の叫び。知らず、千早は背筋が震えたってしまった。
 全員が、その声の主へと目を向けた。そこにいるのは、黒きIDOLヴェルトール。重力殻を最大展開しているせいか、周囲の雲が流動して機体の周囲を渦巻いている。すでに限界出力を叩き出しているヴェルトールだったが、千早はモニターに映し出される情報に目を疑った。――上昇が、続いているのだ。
 限界値を超えて、数値はまだまだ跳ね上がる。在り得ない。いくら無限のエネルギーを内包するコアでも、IDOLが人の造り出した機械である以上、弾き出す出力には限界がある。限界値以上の出力が開放されれば、フレームはそれに耐え切れず、内側から瓦解してしまうのだろう。このままではヴェルトールも例に漏れず空中分解だ。
 だが、しかし。皆は気づいているだろうか。
 ヴェルトールのカメラアイが、緑光色から血のような緋色に変わっているのを。
 それだけではない。機体の装甲各部がひび割れている。否、それは亀裂ではなく、装甲上を綺麗に走る“継ぎ目”だ。
 胴体に、脚部に、両肩に、頭部に。複数の継ぎ目が走っているのだ。その隙間から垣間見える黄昏色の光。その様は、まるでドアを無理矢理抉じ開けようとしているような、起きたばかりの眼をゆっくり開こうとしているような、そんな印象を受ける。特に、ヴェルトールの顎部の継ぎ目は、そのまま“口”が開こうとしているようだ。
 各部の継ぎ目から漏れる黄昏色の光は、やがて粒子となってヴェルトールを取り巻く。初めて遭遇する謎の現象に、千早は何を言うわけでもなく、黙って見ていた。そう、黙って見ていることしかできなかったのだ。
 それもすぐに終わる。何故ならば、

 『地面の中で……おとしなしくしていろぉ!!』

 刹那、紅い閃光となってヴェルトールは発進した。
 その速さは文字通り閃光だった。最大瞬間速度秒速九〇〇メートル超過。時速にして三二四〇キロメートルにも及ぶ音速すら遥かに超えた閃光に相応しい急速降下だ。その速度は不可視。千早にはヴェルトールが火山に激突して停止する瞬間まで目視することなど到底不可能だった。
 全長四〇メートル以上の巨大な人型という質量体がそんな速度で地上にぶつかったらどうなるか。慣性制御による攻撃地点への指向性を精密操作の上で、だ。
 無論、答えは一つ。
 音という音すら消し飛ばしながら、ヴェルトールは火山に突き刺さった。
 トリークハイトブレッヒャー。四機のIDOLの放出した慣性エネルギーに相当するデタラメな威力を発揮するヴェルトールを中心として、衝撃が余波となって波紋状に世界へ浸透していく。衝撃波に手加減という言葉はなく、通り過ぎた全ての物体を問答無用で根こそぎ破壊する様は、ドロップが地上に落下した時の光景さながらである。
 山は抉られ、ドロドロの溶岩でさえ無理矢理火口の奥へと押し込まれて。砂塵を巻き上げる破壊の波は、まずインベル達に襲い掛かった。その場に止まることすら許されず、火口から弾かれて吹き飛ばされて、千早は目の回るほど揺れるコックピットの中で悲鳴をあげた。他のマスターも同様に何の抵抗すらできず。
 波紋となって広がる衝撃は空へと。まるで天へと伸びる巨大な柱を生んで、火口付近だけを綺麗に食い荒らした破壊は、やがて静かに、少しずつ収束して終わっていく。
 ――その中心に、極熱の溶岩すら押し退けてヴェルトールが存在していた。
 いつの間にか機体の継ぎ目もなくなり、カメラアイも通常の緑光色へと鳴りを潜めている。出力の上昇も消え、いつもと何ら変わりない姿がそこにあった。
 けれど溶岩の中で整然とするヴェルトールの姿は、誰から見ても悪魔染みたイメージを彷彿とさせたのだった。
 悪魔は眠る。覚醒のその時まで。

                   ●
 目覚めの時が近い、と。遠い所で誰かが言った。
 遠い遠いどこか。たぶん、人の到達することの許されないどこか。
 誰かは言った。
 いずれ。
 閉ざされた世界の命運を荷うその刹那の時にて君を待つ。



コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム













管理者にだけ表示を許可する

FC2カウンター
プロフィール

o-van P

Author:o-van P
 しがない物書き。アイマスとロボットをこよなく愛する人間。どんな時でも仲間を求める習性がある。

ブログランキング&サーチエンジン
アイマス・攻略ブログ
Project・ZEROm@s
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR

Page Top

Powered by FC2 Blog |

FC2Ad

| Template Design by スタンダード・デザインラボ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。