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 第十四話 バスタルト


 「宙、また泣いているの? 苛められたのね?」
 優しく慰める、それでいて咎めるような声に宙は黙り込んだ。
 天川マツリはいつもこんな感じだ。傷の痛みを優しく包み込みながらも、心の弱さを弾劾する意思も持ち合わせている。ただ困ったことに、まだ幼い宙にはその意図がよく分かっておらず、叱られているような気分になっていつも目を伏せるのだ。
 俯いた宙に呆れ、マツリは腰に手を当てて溜息。宙より高い身長が屈み込み、上目遣いで視線を合わせてくる。均整の取れた輪郭に涼しげな目元が凛々しかった。そこに叱るような雰囲気はない。透明感のある力強い瞳が天川宙という弟を映している。
 「どうして苛められたの」
 理由など毎度同じものだ。孤児であることを揶揄されてのものだった。
 またなのね。いい加減聞き飽きたとばかりに嘆息するマツリ。捨てられっ子。親なし。何がおもしろいのか、特に取り得もないくせに調子に乗った連中は大抵そう言ってマツリ達をからかった。もっとも、マツリはそんな奴らを実力で屈服させてきたわけだが。
 「何度も言っているでしょう、そんなことくらいで泣いているから馬鹿にされるのよ。親のいることがそんなに偉い? 捨てられた私達は弱者なの? 貶されるほど哀れ? 違うでしょ、関係ないわ。それに私達にはおじいちゃんがいるじゃない」
 マツリの言うことは少し難しい。カイエンは子供達に色んな知識を披露してくれるものだから、宙も同い年の子供達より頭の回る方だ。けれどマツリは、学校の教師が舌を巻くほど頭脳明晰だった。だからマツリの言う意味が少しくらい分からなくても仕方がないと思っている。姉が自分を心配してくれていることだけは、感じられたから。
 ほら、涙を拭きなさい。マツリが取り出したハンカチで涙を拭いてくれると、くしゃくしゃに歪んだ視界が元通りになって、彼女の綺麗な顔がよく見えた。長く伸ばした黒髪を結いでポニーテールにするのが、最近のお気に入りらしい。宙を見据える表情は、やはりその歳にしては大人びていた。
 「もう大丈夫ね。さぁ、家に帰りましょう」
 屈んだ状態のマツリは、そのまま半回転して宙に背中を向ける。
 「ほら、おんぶしてあげる」
 頷き、マツリの首に手を回して背中に引っ付くと、軽々と宙をおぶってみせる。暖かい背中。誰よりも大きく見える、誇らしいまでの姿。
 「少し重たくなったわね。宙もそれだけ成長したのか、お姉ちゃんは嬉しいぞ」
 「……うん」
 「ん、元気がないわね。もしかしてまだ気にしているの?」
 「なんだか眠い」
 「いいよ、寝ても。そうね、子守唄も歌ってあげよう」
 そう言ってマツリは歌い出した。孤児院への帰り道、宙を背負う少女の歌声はどこまでも透き通って響き、数年後には日本中を虜にするカリスマ性の片鱗が垣間見えていた。心地良い歌声に包まれながら、宙は目蓋を閉じる。
 懐かしい、今は遠い思い出。けれどもう、愛する彼女はどこにもいない。
 「姉さん……」
 ――意識が覚醒する=目を覚ます。
 薄っすらと目蓋を開けると、最初に見たのは灰色のごつごつとした壁だった。それが岩の天井だと気づくまで時間がかかったのは、まだ完全に眠りから覚めていないからだろう。横たえられた身体にはいつの間にか毛布までかかっている。
 ここはどこだろう。ぼんやりと考えて、とりあえず起き上がろうと身体を動かした。が、身体は鉛のように重く、筋肉という筋肉が、動き方を忘れてしまったかのようだった。緩慢な動作で、なんとか上半身を起こすことに成功する。
 周りを見渡すと、視界の範囲は全て岩だ。どうやら洞窟の中らしい。焚き火がぱちぱちと弾けており、暖色の炎が宙の顔を照らし出していた。
 段々と左から右へ視界を移動させていくと、そこに人の姿を確認した。
 長くて白い髪の女性。座り込んで何かをしているようだが、背中を向けているので顔を窺うことはできない。その後姿に、宙は自然と呟きを漏らしていた。
 「マツリ姉さん?」
 ぴたり、と。女性は動きを止めて振り返った。奇妙なバイザーで顔を隠したその人物に、宙は見覚えがある。彼女は気分が害したのか、不満気に眉根を吊り上げて宙を睨んだ。バイザーに隠れて見えなくとも、その視線には言い知れぬ重さがあった。
 「残念だけど、私は坊やの姉じゃないわ。……ようやく起きたのね」
 「リコリス。あんた、なんで?」
 そこではっとした。霞がかった思考が急に晴れて、意識を手放す直前の記憶が脳裏を奔る。ヌービアムとの戦い。謎の天使の介入。共闘、死闘、撃破、撃墜。そして、血に塗れた大事な女性(ひと)。
 重たい身体を無視して、ばっ! と毛布を払い除けて勢い良く立ち上がり、
 「あずささんは!? どうしてあんたがここにいる!」
 手を振るって吐き散らした宙は、しかし全身を苛む痛みに呻くことになった。岩壁に身体を任せつつもリコリスからは目を離さない。
 睨まれたリコリスは立ち上がると、そんなに警戒しなくても大丈夫よ、と両手を挙げてみせる。武器の類を持っていないようなので、宙は少し安心した。
 この状況はどういうことだ。記憶を掘り返してみると、覚えているのは撃墜直後のことまで。ヴェルトールは、大地に刻まれた巨大なクレバスに墜落したのである。半ば慣性制御を失った状態での急速落下と地面に打ち付けられた衝撃で、宙は意識を刈り取られたのだ。
 そこから先の記憶は欠如していて、如何せん、何故洞窟で寝ていたのは不明だった。どれほどの時間が経過しているのか。ヴェルトールはどうなったのか。不明な点が多過ぎて混乱してしまう。
 「それはそうと、君は女性の前なのにその格好でいるわけ?」
 なんてことをリコリスが言うので、首を傾げて自分の姿をよく見てみた。黄色を基調としたモンデンキントの耐寒服を着ていたはずなのに、目に映るのは肌色一色。ん~? と生まれたままの一糸纏わぬ自分の姿に疑問が駆け巡って止まなかったり。
 簡潔に言うと全裸だった。
 「……なんで!?」
 素直な感想は宙の心情を見事に表していた。笑いを堪えているリコリスの視線に気づき、見ないでー! と甲高い悲鳴をあげながら身体を抱く乙女な宙であった。
 「悲鳴をあげるのは女である私の方じゃないかしら」
 「うるさいうるさいうるさい! なんで俺は裸なんだ! 服は、服はどこに!?」
 リコリスが指差す先に服が綺麗に畳まれている。先程まで宙が寝ていた場所のすぐ横だ。それくらいすぐに気づきなさい、とまで言われ顔まで真っ赤にして服を着る。
 ……散々な目に遭ってしまった。
 「ケガがないか確認しただけよ。軽い打ち身で済んだのは幸いだったわね。……だけど彼女の方は少し危険な状態よ」
 リコリスの足元には、もう一人のケガ人が横たわっている。頭に包帯を巻いて、苦しそうな息遣いで眠りについているのは三浦あずさだ。その様子を見るなり宙は彼女の元に駆け、膝を着いて名前を呼ぶ。返事はない。
 「運が悪かったのね、計器の破片が肩を刺し貫いていたわ。頭部にも裂傷がある。内臓が傷ついていてもおかしくないわ。応急処置を施したとはいえ、私も素人だからね。今は鎮静剤で誤魔化しているけれど、予断を許さない状況よ」
 「……俺達を助けてくれたのか?」
 顔を上げてリコリスと視線を交わす。灰色を基調としたパイロットスーツに身を包んでいるリコリスは、岩壁にもたれかかって腕を組んだ。どこから話せばいいかしら、とリコリスは思考して、
 「あの天使に撃墜されて、私達はクレバスの裂け目に落下した。見れば分かるけれど、このクレバス、なかなか深いのよ。自力では上がれそうになくってね。ヌービアムもダメージが激しくて、現在機能停止中。再起動には時間がかかりそうだったから、仕方がなく外に探索しに出たの」
 そこで墜落したヴェルトールを発見したのだ、とリコリスは言う。ヴェルトールも酷い損傷を負っていて、機能は停止していた。ふとリコリスは思い至った。これがヴェルトールを奪還する好機であると。
 「まぁ、私は生身で戦う訓練も受けていたし、素人の青臭い坊やと女相手なら、捻り潰すことなんて造作もないことだった」
 「じゃあなんでそうしなかったんだ」
 「……破壊されたコックピットには、意識のないマスターが二人。一人は明らかに重傷だった。私が何をするまでもなく、放っておけば勝手に死んだでしょうね。私はそう判断した。ええ、そう思ったわ」
 リコリスの言葉が止まる。バイザーに隠された瞳は天井を仰ぎ見て、自分でもよく分からないといった様子で首を振った。自嘲気味に吊り上げた唇は何故か切なそうで、寂しそうにも思える。その物憂げな表情は一体何を表しているのだろう。
 「殺そうと思ったのにね。少なくとも、私は人殺しに躊躇いなんてないと思っていた。私は“生まれた時から”IDOLで戦うことを求められていたのだから。……何を言っているのかしら、私。饒舌過ぎるわ、話し過ぎ。関係ないことまで話している」
 「リコリス?」
 「――何故助けたか、よね。素直に言うならば“分からない”かしら。傷だらけの坊や達を見て、気づけば助けようとコックピットから引っ張り上げていたの。そこでこの洞窟に運び込んだ。焚き火や毛布、それに包帯などはヌービアムとヴェルトールの収納スペースにあった緊急用キットから拝借したわ」
 言われてみれば、焚き火の元になっているのは枯れ枝ではなく発火ジェルだ。使っていた毛布もモンデンキントのロゴ入り。考えてもみれば、この雪の降り積もったクレバスの奥底で枯れ枝なんか見つかるはずもないし、焚き火だけでは寒さに耐えることはできないだろう。リコリスの計らいは素直にありがたかった。
 しかしリコリスは敵だ。共闘したとはいえ、その関係が変わったわけではない。もしかしたら理由もなく助けたというのは嘘で、何らかの意図があるのではないかと疑ってしまう。故に宙はリコリスの表情を細かに観察した。
 己の行動に疑問を覚えている女性。東京で対峙した際にも感じた余裕や冷酷さが今は鳴りを潜め、代わりに表れているのは迷い。自問自答すればするほど深く嵌って行くような疑問の沼だ。
 観察眼に自信があるわけではないが、悩んでいる姿に偽りはないように思えた。もし、そうなのだとしたら、
 「理由なんていらないんじゃないか」
 「それはどういう意味?」
 「俺が、天使からあんたを助けた時の気持ちと同じだ。理由なんてない。なくても、結果、あんたは俺達を助けてくれた。少なくとも、気絶した俺達を目の当たりにした時、あんたは俺達を救おうとしてくれたんだ。心情がどうであれ。そのことに、俺は感謝してる。感謝してるんだ。それだけじゃだめなのか?」
 「……まさか坊やに礼を言われるだなんてね」
 「勘違いするなよ、別に和解しようとか考えているわけじゃない。ただ俺がそう感じただけだから」
 「素直じゃないのね」
 「どうしても納得いかないのなら、借りを返したと思えばいい。ヌービアムを助けた借りが残っているからな」
 「あら、それなら重力塊からヴェルトールを庇ったのでチャラではない?」
 「その後にもう一度助けてやった。忘れるなよな」
 そうだったかしら? とわざとらしく微笑を浮かべるリコリスに、宙は癇に障ると思いながらも、内心どこかで安堵した。リコリスには飄々とした態度の方がイメージに合っている。あのヌービアムのマスターがしおらしくなっているなんて、調子が狂うことこの上ない。
 リコリスは吐息し、
 「確かに理由なんてそれで十分ね。私も人間だもの、気紛れの一つや二つ起こすわ。そう、“私は人間だから”。その方が人間らしい」
 くくっ、と喉を鳴らす笑いを漏らして、壁に預けた背を起こすリコリス。隅に置いてあった緊急用キットの中から携帯食料を宙に投げて寄越す。坊やも寝ていたんだから少し食べなさい。気を使われているのは悔しかったが、空腹には勝てないので素直に受け取っておいた。
 「これ、あんまりおいしくないんだよな」
 「栄養補給に重点を置いた代物だもの。味に期待するのはナンセンス」
 リコリスはあずさの容態を確認。多少熱はあるが、悪化した様子はないと彼女は告げる。それなりに気をかけてくれているのかな、と思い。宙は残った固形食をリコリスに差し出した。彼女はそれを断る。
 「私はスタンダードなタイプの“バスタルト”だからね。多少の空腹では苦にならないの。気にしなくて結構よ」
 ふーん、と何気なく流した話題にバスタルトという知らない単語があって、意味もなく頭に引っかかった。質問したのは、別段、理由もなかった。
 「バスタルトってなんだ」
 「――なんですって?」
 途端、鋭い声で疑問が飛んだ。リコリスの姿に驚愕の様子が透けて見えて、その信じられないといった雰囲気に、宙は思わずたじろぐ。何事だ。
 「まさか、全て納得した上でモンデンキントに協力していると思っていたのだけど。知らされていないの?」
 「だ、だから何をだよ」
 「……そう、そういうこと」
 考え込む仕草を取ったリコリスは、無言をしばし続けた。妙な沈黙の中で、焚き火の燃える静かな音だけが洞窟の中に響いている。
 自然では在り得ない病的なまでに白い長髪を背に流し、あずさに負けず劣らず起伏に富んだボディスタイル、素人でも分かる達人めいた身のこなし、そんなリコリスの姿を眺めていると、不意に彼女は口を開いた。
 「一つ、確認を取りたいのだけど構わない?」
 「渋るような内容でなければ」
 「坊やはIDOLと話すことができる?」
 「今更じゃないか。アイドルマスターなら、そんなの誰だって――」
 「いえ、違うわ。私が言っているのは“言葉を交わせるか”ということよ」
 言葉を? だからそんなこと、今更以外のなんだと言うのだ。
 「もちろん。当たり前のことじゃないか」
 携帯食料を最後の一欠片を飲み込みながら、宙は平然と応えて見せた。ヴェルトールの助言には何度も掬われたし、基地での待機中もよく話す機会がある。でもそれは、アイドルマスターならば誰でもできることではないか。
 そう、なるほど。平坦な口調で返すリコリスは、
 「ちなみに私を含めて、他のマスターにはそんな芸当できないと思うわよ」
 「……?」
 首を傾げた宙に二の句を次がせず、リコリスはこう切り出した。バスタルトについて何も知らないのだったわよね。
 「いいわ、救難信号が仲間に届くまで時間がかかりそうだし。説明してあげる」
 淡々と過ぎていく時間を潰すには、打ってつけの暗い話だ。
 「バスタルトが如何に呪われた存在なのかを、ね」

                   ●

 如月千早の表情は優れない。
 宙からプレゼントされた例の指輪を首から提げて、胸元で弄りながら、管制トレーラー内の壁に寄りかかっていた。不安だというオーラを撒き散らしながら。千早だけではない。ようやく合流を果たしたアイドルマスター達も皆、同様だった。
 宙とあずさの行方が分からない。
 グリムス山の麓、第三防衛ラインにアイドルマスター課の面々は集結している。テンペスタースを回収し終え、残すはヴェルトールのみとなったわけだが、依然宙達の消息は不明のままだ。無事の再会を素直に喜ぶこともできない。壮絶な戦いを繰り広げ、傷跡を刻んだIDOLを窓に臨みながら、千早は胸の苦しみに唇を噛んだ。
 問題は山積みである。ヒエムスは未だ火山の底。噴火は収まり、IDOL達も再起動を開始したが、それは同時にトゥリアビータ側も行動可能になったという意味だ。しばらくすれば、また戦闘が始まる。そして、
 「ですから先程の噴火や地震でも分かるように、地下プレートはヒエムスの慣性制御によって抑えられているのです。ヒエムスが覚醒した今、それを無闇に回収するのは危険とリスクを伴います。――ええ、ですがこの国を見捨てろというのはあまりにも……。――了解しました。……ではそのように」
 沈痛な面持ちで本部との通信を切ったジョゼフ。本部から、これからの行動について言い渡されたはずである。彼の様子を伺う限り、良い回答が得られたとは思えない。ジョゼフが口を開くのを待っていると、眼鏡の位置を直しながら、彼は全員に向き直った。本部からの通達を伝えます。
 「さて、少々厄介なことになりました。こちらを見てください」
 モニターに表示されたのはアイスランド国土と関連するデータ群。アイスランドの状態を示すグラフのどれもが上昇と減少を繰り返し、安定していないのが印象的だった。特に、地下を通る海洋プレートのグラフの揺らめきが千早を不安にさせる。
 案の定、ジョゼフが口にしたのは悪い報告であった。
 「このグラフは現在の海洋プレートを表わしたものです。ご覧の通り、状態がとても不安定な状態で、ヒエムスが覚醒した影響だと推測されます。そして、それを踏まえた上でシミュレーションをした結果、最悪の事態が判明しました」
 「最悪の事態?」
 「二十年間、アイスランドでは地震が発生していない。と、いうことは説明していましたね。その長い間に抑えられていた莫大なエネルギーが、ヒエムス覚醒の影響で暴走を始めたのです。このままヒエムスを回収してしまうと、歯止めを失ったアイスランドは海に沈みます。私達と共に」
 「ちょ、ちょっと待ってよ。コアの回収自体が問題って……。私達がここに来たのはそもそも無駄足だったって言うの? どうしろってのよ!」
 伊織の文句にジョゼフは、
 「沈没を防ぐ手立てはあります。全IDOLのトリークハイトブレッヒャーで、慣性エネルギーをプレートの接点にぶつけるのです。上手くいけば、暴走を阻止できるはず」
 「本当に大丈夫なんでしょうね」
 「あくまで確立の上ですが……」
 それでもトゥリアビータの行動が懸念される以上、ヒエムスの回収を最優先すべきだと言うのが本部の意向らしい。すでにアイスランド全島には避難勧告を発令済み。そして然る後にヒエムスを回収せよ、と。
 「アイスランドを犠牲にしろってことですか?」
 コアを手に入れるためならば島の一つや二つどうなっても構わないのか。いや、もしかしたら人が死ぬかもしれないのに。
 そんなにコアが大事か。命を天秤に架けてまで。
 「本部の命令である以上、残念ながら我々に拒否権はありません。ですが、被害を最小限に抑える努力はできます。それを全力でやりましょう」
 全員を見渡しながらジョゼフは力強く言った。それしかない。自分達にできることは、コアを手に入れ、同時にアイスランドも救う、二つの結果を手に入れることしかない。それだけが唯一。
 「では、ヴェルトールの捜索とヒエムスの回収、二組に分けることにします。インベルにはヴェルトールの捜索に向かっていただきます。アイスランドの沈没を防ぐにはヴェルトールの力も必要不可欠です」
 「はい!」
 「了解しました」
 「ネーブラとテンペスタースは、マスターの疲労を考慮してパイロットを交代。ヒエムスの回収をお願いします」
 さぁ、正念場ですよ! とジョゼフに促され、マスター達は各々のIDOLへと向かった。各々が本部の意向にわずかな疑問と反発を覚えながらも、だが。
 インベルのコックピットに乗り込みながら、千早は胸元で揺れる指輪の感触を確かめた。
 「宙、大丈夫よね……」
 「きっと大丈夫だよ。あずささんも一緒だもん」
 本当にそうだろうか。春香に言葉を返すこともできず、息の詰まった現状に嘆息したまさにその時。小鳥からの通信が千早達の耳朶を売った。
 『トゥリアビータの機体反応を確認。残存部隊が、グリムス山に向けて進行を再開したわ。各IDOLは発進準備を!』
 それは戦いへの号令。ヒエムスを巡る戦いに決着をつける時が来た。春香はその手にアイを持ち、千早と頷き合ってスロットに差し込む。起きてインベル、私達に力を貸して。動力の制限を解除され、コックピットの計器が次々と点灯を開始した。光を宿すインベルのカメラアイ。静まり返っていた駆動音が、生命の鼓動の如く唸りをあげる。
 「インベル、起動完了!」
 声は高らかに。千早は周辺の地図をモニターに表示すると、ヴェルトールが消えた区域をチェック。何も映さなかった部分が、今では段々と現れつつある。小鳥曰く、重力異常が収まりつつあるらしい。
 「宙、待ってて」
 告げ、果たすと誓い、インベルは雪を巻き上げながら発進した。脚部推進器の出力を可能な限り上げ、全速でポイントへ急行する。
 ヴェルトールが消えた重力異常の中心点、結界。その境界内は、爆砕し抉られた大地が戦闘の形跡として残されていた。そしてわずかに計測される重力異常の残滓。コップの水の中に一滴落とされた濁りのように残る異常は、IDOLの慣性制御のそれに似ていた。この違和感、ヒエムスの影響だけではないはずだ。
 「……ん、何か反応がある」
 「あ、本当だ。これって救難信号?」
 ばっと顔を見合わせる二人。この状況で救難信号を出すような人物は彼ら以外他にいない。
 宙だ! 宙ね! 二人は笑顔を浮かべて言い合って、すぐにその信号の位置を特定する。信号が発信されているのは眼下に伺えるクレバス。その奥からだ。戦闘の際に墜落したのか。いや、考えるのは後回しにしよう。
 二人はインベルを、クレバスに侵入させようとして――止まる。
 もう一つのIDOLの反応が、自分達と同様にクレバスへ進入しようとしていからだ。
 「敵? 光学センサーで!」
 反応のある方向へカメラを向ける。発見する機影。くの字に曲がった逆間接の脚部に、六角形の両肩装甲。翠色の怪物的スタイル。間違いない、グリムス山の中で相対した新型の人工IDOLヒクリオン。
 相手もこちらに気づいたのか、正面から対峙する形で二機は遭遇した。
 『タイミング悪いなぁ! リファは忙しいの、遊ぶのはまた今度!』
 あの時と同じ少女の声。ヒクリオンは戦闘態勢でインベルを威嚇しておきながら、次の瞬間クレバスに向かって垂直降下。どうやら戦うつもりはないらしい。
 遊ぶのはまた今度。その物言いに、ふと思い至る。ヴェルトールが消えたのならば、戦っていたはずのヌービアムが行方不明になっていてもおかしくない。
 「まさか……! 春香、行くわよ!」
 同意はフットペダルを踏み倒すことで。ヒクリオンの後を追って、インベルもまた、クレバスの中へと飛び込んで行った。

                    ●

 宙は肌寒さを感じながら周囲を見渡した。岩壁と氷雪に囲まれた、太陽の光も薄れさせる谷底。地面は雪が積もり、城壁のようにそびえる岩壁で空がこんなにも小さくて遠い。まるで牢屋の鉄格子から空を見上げる囚人の心情。もしくは井の中の蛙だ。
 脱出できないという意味では同じ、か。救助が来るのを待つしかないなと自己完結して、宙はヴェルトールの装甲をまた一歩踏み締めた。
 コックピットにある救急キットを取るため洞窟を抜け出した宙は、果たしてリコリスとあずさを二人きりにして平気だろうかと、ふと不安になった。休戦状態とはいえ敵対関係。しかし、宙が寝ている間も看病を続けてくれていたことや、そもそもあずさのために救急キットが必要とあらば断るわけにいかなかったのも事実。
 だから宙はこうして、洞窟の近くで倒れていたヴェルトールの元まで来たのだ。
 装甲は傷だらけ。コアも一時的な機能停止状態。人間が心臓なしでは生きられないように、IDOLもまたコアなしでは動くことができないのである。
 「ごめんな、相棒」
 こんなことになったのも自分の力不足だ。痛いほど冷たくなった装甲に触れて、宙は申し訳ない気持ちで一杯になった。自然に下がった視線が、地上を見下ろす。
 高い。ヴェルトールの肩までロッククライミングよろしく這い上がってきた宙だったが、それは機体が倒れているからこその芸当だ。
 そう、そうだ。この高さを、気絶した人間二人を抱えて降りることなど普通は無理。不可能なことだろう。
 でも、リコリスはそれをやってのけた。バスタルトだから。
 宙はリコリスとの会話を回想した。
 「――改造、人間?」
 「チープな言い回しだけれど意味は間違っていないわね」
 焚き火が宙とリコリスの顔を照らし出して影を作る。真剣な表情だった。
 昔話をしよう。かつてまだモンデンキントの一部門だったトゥリアビータに、二人の天才科学者がいた。その頃トゥリアビータが研究していたのは、空より飛来した謎の構造体。今で言うIDOLのコアだ。コアは、現在の科学技術を持ってしても解析の難しい未知の力を秘めた存在だった。
 結果としてコアはIDOLという人型インターフェースとなってドロップ迎撃という役割を与えられているが、コアの可能性は未だ未知数。その力に目をつけたトゥリアビータはコアをIDOLとして完成させるのとは別に、複数のプロジェクトを同時進行していた。
 「その一つがミシュリンク・プラン」
 「聞いたことがある。あんた達が欲しがっているものの名前だ」
 以前、月見島でジョゼフから聞いた事柄を思い出す。リコリスはうんと頷いて見せた。
 「コアを解析していく初期段階で、それには無限に近いエネルギーが内包されていることをトゥリアビータは発見した」
 それがIDOLを動かす永久機関の動力源となっているわけだが。同時に、コアが果たして如何様な存在なのか、その一端が判明したのだった。
 この地球上に育まれている生命はカーボン生命体と呼ばれている。地球の生命体は大部分がカーボン=炭素を中心に構築されており、これは炭素の持つ原子価が四つであり、多様な結合ができるからとされている。しかし、もう一つ炭素と同じ生命のようなものができるのではないか、と思われている物質がある。
 それが珪素=シリコンだ。だが元々それは想像の域を出ないものであり、シリコン生命体とは、使い古されたSF作品などに登場する架空の生命体として扱われるものであった。生命でありながら電子的な側面も併せ持ち、コンピューターに介入することもできるユニークな存在。それがシリコン生命体の想像図。
 だが、ユニークをリアルに置き換える発見こそコアの存在であった。地球を覆うオービタルリングから飛来したコアは、まさしくシリコン生命体と呼ばれるに相応しい特徴を有していることが分かったのだ。
 地球上には存在しなかった要素(ファクター)が加わったことにより、新たな可能性がこの世に誕生した。
 ミシュリンク・プラン。
 二人の天才の一人“テル・ロウ”が人類の未来とコアの可能性を広げるために提唱し、オービタルリングに囲まれ宇宙への新たな可能性の追求を閉ざされた人類が、更なる“進化”を持って地球という枷を捨て、宇宙へと進出するための計画。
 ミシュリンクとはすなわち、カーボン生命体である人類とシリコン生命体であるコアを融合させることで、あらゆる環境に対応できる新人類を誕生させることであった。それこそがテル・ロウの考え出した生命の可能性の探求であり。
 今のトゥリアビータが求める最終目標だ。
 だが計画は失敗している。結局、人類は新たな段階に昇華することができなかったのである。
 「そうして残されたのはミシュリンクの失敗作だけだった。私のような」
 「……まさか失敗作って」
 「そうよ。バスタルトとは、ミシュリンクを目指して届かなかった出来損ないのこと。あなたの言う改造人間。人間にもIDOLにもなれない、そのどちらでもないハイブリット。いえ、ただの中途半端なだけの哀れでどうしようもない、人の成れの果てよ」
 「在り得ない、そんな馬鹿な話!」
 生命の創造。自然の摂理(レール)を離れた人工的な進化など、そんなものは人間のやって良いことではない。
 「そんなの、神の領域だ」
 「だからこそ失敗したのよ。所詮、人間は人間だから。それ以上にもそれ以下にもなれない。そのツケが私の身体に圧し掛かってはいるけれど」
 バスタルトは人間に比べて遥かに高い身体能力と、細胞の特殊化による不老を得ている。東京でリコリスが見せたIDOLの腕を走り上るといった芸当や、瞬間的な反応の速さは、全てバスタルトであるが故に為せる業だ。
 けれど失敗作であることに代わりはない。驚異的な身体能力と不老の身体を得る代わり、大きな欠陥を身体に抱えている。それは――。
 「……そろそろ戻らないと」
 顔に吹きつけられた冷風に身体が震え、宙はいそいそとヴェルトールのコックピットに入り込んだ。
 機体自体の損傷も酷いけれど、コックピットもなかなかだ。機器は衝撃とオーバーロードで焼き焦げているし、あちこちで配線が顔を覗かせている。動いてくれたら御の字だろう。これでよく生き残れたものだな。思って、宙はぞっと背筋を振るわせた。
 思考停止。今は救急キット最優先。
 収納スペースがある場所に視線を向けると、すでにいくつか持ち出された形跡がある。リコリスだ。目的の救急キットはそのまま残されていた。それなりに大きいので、一緒に持ち出せなかったのだろう。
 外に持ち出そうとすると、不意に目に入ったのは、あずさの座っていたサブパイロット席にこびりついた赤黒い汚れだった。苦虫を噛み潰したような表情になってしまって、ちくしょう、と悪態を吐いて早々に飛び出す。
 今度は下を見ながら下りるという恐怖を味わいながらなんとか地面に降り立って、深呼吸。そうして洞窟に歩き出したところで、リコリスが中から出て来るのが見えた。
 「リコリス?」
 何事だろうかと疑問を覚えた瞬間。
 リコリスが力なく雪の上に倒れ伏した。
 驚きに身体を硬直させるのもわずか。弾かれるように雪を後ろへ蹴り出して宙はリコリスの元に駆け寄った。白を通り越して青くなった肌やだらりと投げ出された腕を見て只事ではないとすぐに分かった。今にも消え入りそうな彼女を抱き起こすと、
 「……なんだ、坊やか。救急キットは取ってきた?」
 「馬鹿野郎、自分の心配しろよ! どうしちまったんだよ!」
 身体は氷のように冷たくて、意識は朦朧とした感じなのに、救急キットは取ってきた? なんて暢気なことを言う。その声でさえ、かろうじて搾り出したような蚊の鳴くような細さだ。起き上がろうとして起き上がれない、自分の異常に溜息を漏らしたリコリス。
 「相変わらず欠陥品はダメね。もう少しくらい、平気だと思ったのに」
 「バスタルトの欠陥、かよ」
 そう聞いていた。出来損ないであるバスタルトは代謝機能に大きな欠陥を抱えており、環境の変化に対応することができない。定期的に活性化剤を投与しなければ機能不全を引き起こし死に至る。
 ミシュリンクとはあらゆる環境に対応できる新人類の雛形。環境に対応できないバスタルトとは真逆の存在。ミシュリンクに至ろうとして、失敗し、人類ともIDOLともなれない曖昧な存在となってしまったバスタルトは、果たして人間と言えるのだろうか。リコリスの答えはノーだった。バスタルトは人間ではない。
 ――このno body(ノーバディ)やan birth(アンバース)とも言える身体はね、意外と便利よ。銃で撃たれても簡単に死なないし、驚異的な性能は他者を圧倒できるしね。
 そうは言うけれど。彼女はそう言うけれど。でもこんなところを見せられて便利も何もあるものか。
 「馬鹿だよ。つくづく馬鹿だよ」
 こんな状態になってまで飄々とした態度を続けようとするリコリスも。
 敵なのに。心底心配をしている自分も。
 「死ぬなよ。目の前で死なれたら後味が悪い」
 「……心配してくれているの?」
 びっくりだわ、と薄く笑うリコリスはこのままでは本当に死んでしまいそうだった。
 「そんな身体。あんた達トゥリアビータは、命を弄繰り回してまで、そんなにミシュリンクが欲しいのかよ。なんで俺にあんな話をしたんだ」
 あんな怖い話。震える拳がリコリスの冷たい手に触れた。
 「……坊やが無関係ではないからよ」
 「えっ」
 「トゥリアビータはモンデンキントの一部門だった。考えて御覧なさい」
 全ては繋がっている。ここに天川宙という人間がいるのも全ては必然なのだ、と。リコリスは掠れる声で何かを伝えようとしている。
 「坊やはモンデンキントに騙されている。本当は――」
 言葉の途中で、リコリスが苦しげに身を捩った。抱き上げる宙には何もできない。バスタルトの欠陥とやらが致命的なものであるならば、このままでは間違いなくリコリスの命はない。活性化剤が必要だった。
 「薬あんだろ、活性化剤。それどこだよ!」
 「無駄……よ。ヌービアムが墜落した時に……ダメになったもの」
 だからこうなる危険を冒して外に出た。助かる糸口を探して、生き残るために。でも逆に宙達を助けようとして余計に体力を使ってしまった。これはリコリス自身の責任だ。それを承知で宙達を助けたのだから。
 「じゃあどうすればいいんだよ!」
 衰弱した彼女はもう反応を返してこない。荒れた吐息のリズムは、必死に生きようとする彼女の心臓の鼓動そのものだった。死にたくない。宙には確かにそう聞こえたのだった。
 命の灯火を小さくするリコリスに、宙は言い知れない感情を覚えた。どうして彼女を助けようとしているのか。天使との戦闘の時も、ヌービアムを庇う理由なんてなかった。適当な理由のこじつけで自分を納得させていたのだ。真っ当な理由ではない。
 おかしな話だ。宙もリコリスも、お互いを助けようとする理由が分からないなんて。
 ……いいはずだ、理由がなくても。人間はそういう生き物だろうが。
 行動するためにいちいち道理がなくてはいけないのなら、それは人間ではなく機械だ。人にも善悪、損得勘定があっても、時には心の赴くままにやりたいことをやることだってある。宙にとって、リコリスを助けるというのがそれなのだ。
 「でもなんにもできないじゃないか!」
 自分は無力だ。
 ところが、唇を噛み締めた宙の身体は、上から舞い降りてきた突然の強風に煽られた。
 「風? いや、これは……!」
 見上げた先で、宙は目撃した。翠色の巨体、膨れ上がった肩、逆関節の足。単眼が睨みつけるような光を放ち、宙の真上に舞い降りて来た。宙が敵の大群の中で目撃した新型人工IDOLの一体だ。
 『リコリス、大丈夫なの? 助けに来たよ、返事して!』
 機体から流れる幼い少女の声。一度聞いたことのある声だ。確かヴェルトールに初めて出会った波止場で、エピメテウスに乗っていた少女の声。
 「あの時の!」
 『お兄ちゃんはヴェルトールのマスターだった人!』
 遭遇、再会。このタイミングで救助が来たのは幸か不幸か。リコリスの言っていた救難信号が届いたのだろうが――。リコリスの手に握られていた携帯端末の発光がそれを証拠付けていた。きっと仲間の接近を知って洞窟から出て来たのだろう。呻く声を殺しながら、リコリスは宙の腕の中で言葉を紡ぐ。
 「どうやら先に、私の仲間が来たみたいね。協力関係もこれでお終いかしら」
 「あんまり喋るな。けど良かった、あんた助かるぞ」
 「ありがとう。……それと、さようなら」
 「……っ!」
 疑問と同時、宙はどんっと突き飛ばされた。病人だというのに、その力のなんと強いことか。二回転くらい地面を転がって吹っ飛ばされた宙は雪まみれになって立ち上がった。何しやがる! 雪を振り払いながら怒鳴った宙の眼前。
 鋭く空気を切り裂いて投擲された斧が落ちてきた。
 「リコリスに近づくな!」
 ばっ、と。直感的に横に転がったのは正解だった。次の瞬間には、追撃で、金髪の変わった髪型をした少女が飛び降りて来たのだから。頭ごと踏み潰さんばかりの豪快な着地。大の大人でも竦みそうな威圧の視線を放つ少女は、あんなに高いIDOLのコックピットから飛んできたのか。
 バスタルト。この子といいリコリスといい、トゥリアビータは万国びっくり人間ショーでも開催しているに違いない。
 「斧まで持ち出すのはやりすぎよ。もう少し女の子らしくしなさいな」
 「そんなことどうだっていいよ! リコリスは大丈夫なの? ねぇ、苦しそうだよ」
 「ええ、大丈夫よリファ。活性化剤さえ投与すればすぐに……」
 リコリスの身体が、またグラリと傾く。思わず支えようとした宙はリファの威嚇にびくりと止まった。首なんて簡単に斬れそうな斧を突きつけられたらいくらなんでも止まるしかない。宙の代わりにリコリスの身体を支えたのはリファだ。
 その時、リコリスの着けていたバイザーが外れて雪に刺さる。彼女の長い髪が顔を隠し、病的な姿が余計に酷く映って、もはや死者のようだ。
 「おい、リコリスの容態は」
 「こっちに来ないで。本当はヴェルトールとあんたにも来てもらいたいけど、今はリコリスの方が大事。だから見逃してあげる!」
 見逃す、見逃すと。リコリスもリファも毎回人を見逃すと言う。少々苛立ちを覚える宙だったが、リファ達の背後に降りてきた翠色のIDOLがそれを邪魔する。雪の上に膝を着き、巨人の手の平が二人を向かい入れる様に差し伸ばされて。
 「リファ、ここから少し離れた場所に、ヌービアムが……」
 「うん、でも時間がないの。インベルが追って来てて、すぐに逃げなくちゃ」
 インベルが来ている。これで自分達も助かる。安堵が身体の凍えを和らげた気がして、何もかも納得する気持ちが強くなった。ここでリコリスを行かせれば、いずれまた、どこかで戦うことになるかもしれないけれど。今はこれで良いように思えた。
 坊やはモンデンキントに騙されている。その言葉の真意が小さなしこりとなって釈然としなかったが、だ。
 IDOLの手の平に乗るリコリスとリファ。吹く突風、見送る宙。そして、その瞬間だった。
 リコリスの髪が風に流されて、その瞳と目が合ったのは。
 「――――」
 リコリスの素顔は美女という表現に負けないくらい美しかった。――そうではない。自分はその姿を知っていた。知らないはずがない、忘れるわけがない。
 瞳は日系離れした赤色なのに、その違和感を感じさせないのはその美貌が故か。――違う、彼女の瞳はそんな色じゃない。いつも宙を見つめていた瞳は、そんな色じゃ。
 病的なまでの白い髪に赤い色の瞳。今の蒼白な肌色と相まって、それはこの世のものではない美しさを誇っている。まるで青い薔薇。――そうだ、この世のものではない。だって、だって、だって。
 言葉が出ない。思考が麻痺している。この引き伸ばされた時間は一体なんだ。自分は一体何を見ているのか。見てしまっているんだ。自分は何故“この人”と目を合わせているのか。分からない、判らない、解らない。誰か教えてくれ、これは幻なのか。
 不思議だった。何故、初めての共闘であそこまで息が合ったのか。まるでお互いの癖すらも熟知したかのような、完全に呼吸の合った連携。頭の片隅で引っかかりながらも、天使との戦いに集中して無視していた。
 些細な引っかかりは以前からあった。特に二週間前の事件の時だ。何気なく話しかけてきたリコリスに、まるで古い知り合いのような親しみを感じた。彼女を無意識に庇おうとしたのだって、もしかしてなんとなく“あの人の雰囲気”を感じ取っていたからではないのか?
 突拍子がない。支離滅裂。息が苦しい。
 ――ギシギシと、何かが軋んで壊れていく音がする。
 最初に会った時の親近感も、共闘の連携も、理由があったとしたら。もし、本当に昔から知っている人だったら。もし、互いの些細な癖や思考すらも理解しているような仲だったら。もし、宙がずっと追い続けてきた人だったとしたら――!
 「嘘だろ?」
 目を見開いて、裏返って出た声。彼女は、宙の知っている姿とはだいぶ変わってしまっていた。白い髪、赤い瞳、日本人離れしたそれら。でも意識の奥底にある天川宙という存在そのものが訴えている。彼女は本物だと。
 どうして今まで気づかなかったのだろう。そのことに大きなショックを受けて。
 嬉しいとか、悲しいとか、そういう感情すら浮かばなくて。
 宙は、現れた現実を自分で口にした。
 「マツリ姉さん……」
 その瞬間、音をたてて宙を形成する何かが砕け散った。



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